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福島県が送付した甲状腺検査の通知書=三田市三輪2
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福島県が送付した甲状腺検査の通知書=三田市三輪2

 関西学院大学神戸三田キャンパス(兵庫県三田市学園2)に通う2年生の女子学生(19)は、福島県会津若松市出身。今も実家で両親が過ごし、原発事故が起きた福島県からは定期的に甲状腺検査の受診を求める通知が届くという。「自分も被災者の枠に入っているのかなあ?」。戸惑いつつも、関西では事故が遠い出来事になっていると感じる。率直な思いを語ってもらった。(山脇未菜美)

 会津若松は緑が多くて、のどかな所。地震が起きるなんて考えたこともなかった。震災があったのは小学6年のとき。学年集会で3階の教室にいたとき、大きな横揺れがありました。雪が積もる校庭に避難して、凍えながら親の迎えを待ちました。家族は無事でしたが、親が迎えに来た友だちが一人、また一人と減っていくのが心細かった。

 電気もガスも使えたけど、水の規制はありました。テレビで津波が街をのみこんでいく映像を見て、自分が住む近くで大変なことが起きてると感じました。2カ月後、同じクラスの男子が原発事故を理由に県外へ引っ越しました。寂しい気持ちがあったし、目に見えない恐怖にさらされてるんだと思いました。

 「私も被災者として扱われているんだ」と感じたのは、中学校での甲状腺検査でした。首に冷たいジェルを塗られて、機械で見てもらうんですけど、最初はすごくドキドキしましたね。今も2年に1回、福島県から通知が来ます。私たちの健康に影響がないか、慎重に調べてくれているのでしょうがない。ずっと付き合っていくしかないのかな。

 放射線がどれくらい危険なのかは分かりません。「落ち葉には近寄らない」「外で遊ぶのは控えて」と大人にいろいろ言われたけど、気にしたらきりがない。でも、周りの反応は違う。

 農家の祖父母が作る米や野菜があまり売れなくなりました。他にも中学3年の修学旅行で韓国を訪れる予定だったけど、原発事故を理由に断られたそうです。「震災から3年がたっても海外の人は避けるんだ」と悲しくなりました。

 大学生になって初めて県外で1人暮らししました。事故が原因で人に避けられるのが嫌だったから「会津若松出身」と言ってました。聞かれてもないのに、福島の山側って説明してました。でも、周りの人は「大変だった?」と尋ねるくらいで、深くは聞いてこない。関心がないんじゃなくて、福島の情報が関西にあまり入ってこないんだと知りました。

 長期休暇のたびに実家に帰ると、テレビニュースで天気予報と一緒に各地の放射線量が流れていて「原発事故は終わっていないんだ」と感じます。でも放射線のことは日常化しすぎて、話題に上がらない。矛盾してるんです。被害に遭って悲しいけど、考えてもしょうがない気持ちもあるし…。

 今も忘れられない風景があります。高校1年のとき、親に連れられて津波の被害があった宮城県名取市の閖上に行きました。砂浜に建物の骨組みと木が数本あるだけで、何があって、人がどういうふうに過ごしていたかすら分からない。怖さを肌で感じました。

 阪神・淡路大震災を経験した大人と話す機会があると、共感してもらえて少しうれしいです。

 だから、将来は地元に戻って復興の力になりたいです。何をしたいかはまだ分かりませんが。やっぱり、福島が好きだから。

■会津若松市の現状「安全性を理解して」

 原発事故から1年がたった2012年春、福島県会津若松市が市内235カ所で空間放射線量を調査したところ、31カ所で国の除染基準(毎時0・23マイクロシーベルト)を超えたが、それ以外の9割近い地域は基準を下回った。

 このため、国が直轄で除染を進める「汚染状況重点調査地域」の指定を受けず、各町内会が線量の高い土砂を除去するなどして対応。18年夏に、市内平均の放射線量は毎時0・01マイクロシーベルト未満にまで下がったという。市は事故で飛来した放射性物質が雨で落ち、地面に付着したとみており、線量は自然に減少すると見込む。

 一方、同市の年間観光入込客数は18年が約306万人。観光名所の鶴ケ城などがあり、原発事故が起きる前の9割ほどに戻った。ただ、修学旅行での訪問は依然回復していないという。市の担当者は「数字を紹介し、安全性を理解してもらいたい」と話す。

 福島県は、震災時に県内に住んでいた18歳以下の若者らを対象に甲状腺の定期検診を続ける。20歳まで2年ごと、以降は5年ごとに行うという。

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