三田

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普段は平令子さん(左)のことを「令子ちゃん」と呼んで楽しくおしゃべりする樋浦光さん(右)だが、練習のときはぱりっと=その田卓研
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普段は平令子さん(左)のことを「令子ちゃん」と呼んで楽しくおしゃべりする樋浦光さん(右)だが、練習のときはぱりっと=その田卓研

 4月初め、門下生の西山小6年樋浦光さん(11)のラケットを持つ手を握り、声を掛ける女性がいた。「こう振るの」。その田卓研の卒業生で2007年世界選手権の日本代表、平(旧姓樋浦)令子さん(34)=埼玉県。神戸市北区の実家に帰省中、めいの光さんを指導していた。

 トップ選手になるには、技術だけでなく自覚が必要という。「私は日本一になれると信じてやってました。(園田八朗)代表の洗脳もあったんですけどね」と茶目っ気たっぷりに振り返る。

    ◇

 小学4年のとき、兄の付き添いで教室を訪れた平さんは、園田さんに力強い歩き方と、自信を持って話す姿を見初められて入門。そして毎日言われ続けた。「おまえは日本一になれる」

 年齢の近い男女の門下生が約30人おり、全国上位の選手がそろっていた。フォームや試合の組み立て方、卓球と向き合う姿勢…。見るだけで勉強になり、全員をライバル視していた。小学6年で東アジアホープス(6年生以下)で日本代表に選ばれ、推薦で名門の四天王寺中学・高校(大阪市)に進んだ。

 教室に通った2年間に固めた覚悟は、その後の卓球人生を支えた。実業団のミキハウスでは、見たいテレビがあっても睡眠を優先し、食事は油物や甘い物を控えて体重を管理。一球の甘さが試合の局面で出る-と自身に言い聞かせて緊張感と集中力を高めてきた。

 精神面は何歳になってもコントロールが難しい。気が休まることはなかった。「常に自分と戦ってましたね。でも、自分で選んだ道だから、何が卓球によくて、何が悪いかを突き詰めて考えることができた」

 それでも全日本選手権では準優勝が多く“シルバーコレクター”と呼ばれた。ロンドン五輪を控えて右足首の靱帯を痛め、引退した。「孤独でしたね。勝たないと意味がないことを痛いほど感じました」

    ◇

 自分の型にはまったときは、いけいけドンドンな性格だから押し切れる。でも、競り合ったときに精神面の弱さが出る-。平さんは光さんをこう評する。

 小学2年で卓球を始めた光さんはカットマンとして、めきめきと成長している。ジュニア代表候補の選考会や合宿に呼ばれるなど将来を期待されているが、まだ全国上位はつかめていない。

 光は日本一になりたいと思ってるの? 平さんが尋ねると、光さんは「最初はあんまりやったけど、やっていくうちに…。うーん、分からん」と照れくさそうにごまかした。

 平さんは「そういうところがね、卓球に対してまだまだ厳しくない」とぴしゃり。「なれるかなれないかは、やってみないと分からない。でも、なりたいかどうかは自分が決めるところ。自分の意志で決められたとき、光はもっと強くなれる」。(山脇未菜美)

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