三田

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三田音頭を軽快に踊る市民ら=2018年8月、三田市天神1
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三田音頭を軽快に踊る市民ら=2018年8月、三田市天神1
三田音頭の踊り方(日本舞踊師範、寛長つや子さん作成)
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三田音頭の踊り方(日本舞踊師範、寛長つや子さん作成)
神戸新聞NEXT
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 兵庫県三田市の夏の風物詩「三田まつり」で総踊りされる「三田音頭」の節を口ずさんでいて、ふと疑問が頭をよぎった。なぜ歌詞が「太功記」で明智光秀の切腹などを歌うのだろう? 聞けば三田音頭は、市内以外に播磨北部や阪神間でも踊られている。3日の祭り本番を前に、ルーツを調べた。(門田晋一) 

 「三田音頭には播州の踊りが交じっているんです」。そう語るのは三田音頭会の会長油谷章二さん(65)だ。どういうことか。

 油谷さんによると三田音頭の発祥は、貴志地区。明治初期、地域の踊り指導者だった志茂鹿蔵氏が、地域に根差した「貴志音頭」をつくろうと発案し、その際にアレンジしたのが当時、同県加東市東条町や同県三木市吉川町で盛んだった「播州音頭」だったという。

 「兵庫県民俗芸能誌」(喜多慶治著)によると、江戸末期、抑揚のない一本調子の歌唱法が北播地域に流行。その後、浄瑠璃に登場する人物の感情を表現する風習として、節を付けた歌に合わせて踊る「音頭」が広まったとされる。

 そこに播州音頭が誕生し、貴志地区ならではの盆踊りなどを掛け合わせたのが、貴志音頭という訳だ。

 では、なぜ太功記なのか。「おそらく当時流行した人形浄瑠璃の演目です」と油谷さん。明治初期は明智光秀が切腹する浄瑠璃「太功記」の一場面が人気で、貴志地区でも庶民向けに、はやり物を選んだ可能性があるという。現代では祭りで悲劇を歌うことに違和感もあったが、今でいうダンスイベントのようなノリだったのかもしれない。

 貴志音頭が三田音頭と呼び名が変わった理由には諸説あり、1943年に旧貴志村南部が旧三田町に入った影響だったり、市域のイベントで自然と広まったりしたとみられる。

 三田音頭会が約20年前に調査すると、三田音頭は播磨に加えて神戸市北区や同県宝塚市でも踊られていた。ただ、同県西脇市の西脇三田音頭保存会は「昭和初期に三田から伝わり、人気が出たと聞いている」と説明。その起源が播州音頭とはほとんどの人が知らないようだ。

 貴志地区で音頭の継承に努める前仁司さん(74)は普及の功績として、歌い手だった東良常蔵氏を挙げる。明治から昭和初期にかけて美声で名をはせ、各地の祭りに呼ばれたという。

 「伝統的な貴志の踊りが人と人をつなぐ。呼び名は変わっても、多くの人に踊り続けてもらいたい」

■歌詞 「太功記」十段目

 扨ても世上の習いと云えど

  裏や表に治まる御代に

 順と逆とのまま有る事よ

  それも此の世のかやくなり

 楽しむ絵本太功記の

  程も数有る先ず十段目

 不忠不幸の彼光秀は

  悪達者とは云いながら

 人も有り又学者であるが

  運のつきかよ久吉公に

 主の仇で討たれけり

 ・・・・・・・(略)

■三田音頭の踊り方(写真2枚目参照、右から)

(1)♪さあーて

 右足出し 右手前

 左手かざし

(2)♪もう

 左足出し 左手前

 右手かざし

(3)♪せじょ

 両手手の平合わせ

 左足引き 左へ流す

(4)♪おのう

 両手手の平合わせ

 右足引き 右へ流す

(5)♪ならい

 右足出し 両手上げ

 まる 左足揃える

(6)♪と

 少し早く左足出し

 両手広げ 右足揃える

(7)♪いいえど

 両手合わせ

 チョチョンのチョン

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