三田

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江戸時代から使うたんすを開ける梶田源一郎さん=三田市
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江戸時代から使うたんすを開ける梶田源一郎さん=三田市
見つかった軍事郵便のはがき。「検閲済」の印が押され、戦争時に弱音を吐くことは許されなかった
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見つかった軍事郵便のはがき。「検閲済」の印が押され、戦争時に弱音を吐くことは許されなかった
はがきの裏には、大日本帝国海軍の軍艦旗。旗を振る兵隊といかりの絵が描かれている
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はがきの裏には、大日本帝国海軍の軍艦旗。旗を振る兵隊といかりの絵が描かれている
宝塚少女歌劇の写真
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宝塚少女歌劇の写真
着物姿の女性の写真
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着物姿の女性の写真

 「もうお盆やろ。魂だけでも古里に帰れたらなあ思って」。そう言いながら、兵庫県三田市の梶田源一郎さん(81)が見せてくれたのは4枚のはがき。黄色く変色した表面には、赤色で「軍事郵便」の文字。差出人は中国の上海にいた4人の兵隊で、いずれも送り先、源一郎さんの叔母・とめ子さんだ。戦争中、小学生のとめ子さんが戦地の兵隊に送った手紙の返事という。はがきを送り主の親族に返したいという源一郎さん。心当たりのある方はいませんか?(山脇未菜美)

 軍事郵便は8月上旬、源一郎さんが父から受け継いだ江戸時代のたんすを整理していて見つけたという。

 1932年(昭和7年)4月の消印で、有馬郡の三田尋常高等小学校高等1学年(現在の小学5年)だったとめ子さん宛て。当時は満州事変を経て日中の緊張感が高まる中、日本軍と中国軍が中国・上海で衝突した「第一次上海事変」(同年1月28日~)が落ち着いた頃だ。兵隊を励ますため、学校で手紙を書いて送った「慰問文」の返事という。

 「大日本帝国萬歳!」「貴女の御便りを見て私も一層奮闘します」

 検閲があったためか悲壮感はなく、簡単な近況を知らせる文面がほとんど。それでも、「揚子江の流れと洋館を眺めあきて、近ごろ鏡に向かって静かに髭を剃りながらあなた方の事やふるさとの事を考えてゐます」などと生活に余裕が出てきた様子もうかがえる。

 上海事変は満州事変後の上海で日本軍と中国第19路軍が衝突。激しい市街地戦となり、日本は陸軍を増派して32年5月、停戦協定が成立した。一連の戦闘を通じて、日本の戦死者は769人に上ったとされる。その後、日本は37年に始まる日中全面戦争を経て、太平洋戦争での敗戦へと突き進んでいく。

 はがきをやり取りした兵隊は死の恐怖に耐えていたのだろうか。別の日には一人の兵隊から「宝塚少女歌劇」(現在の宝塚歌劇)と記された写真はがきが送られており、源一郎さんは「女の子が喜ぶと思って送ってくれたのではないか」と兵隊の気遣いを思う。

 差出人は▽米倉岩美さん▽岸本義雄さん▽金箱惣一郎さん▽久永耕作さん-の4人。当時の所属部隊名が添えられているが、戦争でどうなったかは分からない。「今、見つけたのも何かの縁。貴重な遺品やから返せたらね」

   ◇   ◇

■はがきの内容(※梶田源一郎さん読み取り。○は読めない。)

【上海派遣軍機関銃九大隊一中隊 久永耕作】

 とめ子ちゃん

 おてがみありがとう。おかわりありませんか。わたくしたちもおかげさまでげんきにはたらいております。また、あとでいろいろ、おしらせいたします。

 おからだおたいせつに。さよなら

【上海碇泊第三艦隊司令部付軍楽隊 岸本義雄】

 御壮麗な御便りありがとう御座居ます。貴女の御便りを見て私も一層奮闘します。私達は上海には○○○○約一ケ月余り○○○○○○

 上海の形成も時々御報せしませう。では御礼まで 小夜奈良

【上海十四師団機関銃第九大隊二中隊 金箱惣一郎】

 とめ子さん 先日はお手紙ありがとうございました。兵隊さんも皆元気ではたらいて居ますから御安心くダサイ。とめ子さんも一生けんめい勉強して父さんや母さんに孝行してください。そしテ兵隊さんの所にお手紙をだしてくだサい。まっています。さよなら

 (裏面)

 大日本帝国萬歳!! 先生によろしく

【上海泊第三艦隊出雲第九分隊 米倉岩美】

 戦争がお終いになって揚子江の流れと洋館を眺めあきて、近ごろ鏡に向かって静かに髭を剃りながらあなた方の事やふるさとの事を考えてゐます どうぞご機嫌やう。

 4月3日

 (裏面に大日本帝国海軍の軍艦旗のデザイン)

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