三田

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旧陸軍が砲弾工場を建設するために掘った洞窟の入り口=藍本
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旧陸軍が砲弾工場を建設するために掘った洞窟の入り口=藍本
終戦間際に地下工場が造られたとされる住宅街の一角=けやき台3
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終戦間際に地下工場が造られたとされる住宅街の一角=けやき台3
米軍機の機銃掃射で撃ち抜かれた半鐘=三輪会館
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米軍機の機銃掃射で撃ち抜かれた半鐘=三輪会館
全国や旧日本領の都市が刻まれた方位盤=国立病院機構兵庫中央病院
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全国や旧日本領の都市が刻まれた方位盤=国立病院機構兵庫中央病院
70年以上にわたって児童を見守るヒマラヤスギ。高さは校舎4階に達する=三田小学校
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70年以上にわたって児童を見守るヒマラヤスギ。高さは校舎4階に達する=三田小学校

 きょう15日で太平洋戦争の終戦から74年となる。戦争の遺構は兵庫県三田市内でも、ひっそりと各地に残っていると聞いて、市内を巡った。空襲で被弾した半鐘、特攻兵士が残した大樹…。それらは今も平和な街角に戦争の面影をとどめていた。(門田晋一)

 JR藍本駅から藍小学校に抜ける山あいの市道脇に斜面が続く。その一角で背丈まで伸びた雑草をかき分け、洞窟に近づいた。直径1~2メートルの穴の前に立ち入り禁止のバリケード。中は真っ暗で奥行き10メートルはありそうだ。

 市によると戦争末期、旧陸軍が本土決戦に向けて急ごしらえした工場跡という。米軍の監視網をかいくぐって迫撃砲や手りゅう弾の製造を目指したが、完成せずに終戦を迎えた。近くに子宝祈願の地蔵があり、若者らが戦禍を免れたのは御利益だろうか。

 市史を頼りに関係者に話を聞いてウッディタウンの交差点に赴いた。閑静な住宅街が広がり、車が行き交う。実はここでも終戦末期、尼崎市にあったプロペラ工場の移転先として地下工場を建設していたという。

 操業せずに終戦となり、地下にできたトンネルを残したままニュータウンが建設された。1998(平成10)年、住宅敷地の地盤が崩れて、地下工場は市民の知るところになった。が、今は埋め立てられて痕跡はない。

 続いて国立病院機構兵庫中央病院(大原)へ。療育訓練室の脇に回ると、御影石の方位盤が残っていた。

 同病院はかつて「傷痍軍人兵庫療養所」で、太平洋戦争開戦前の39(昭和14)年に開設された。方位盤は当時の資材で、神戸、横須賀、広島などの都市や皇居、皇大神宮(伊勢神宮)、新京(旧満州国の首都)の方角を刻む。負傷兵らはここで治療を受けながら、どの地に思いをはせたのか。故郷か、それとも戦地だろうか。

 三輪会館(三輪3)では、米軍機の機銃掃射跡が残る半鐘を見せてもらった。空襲警報が出た際、旧三輪町役場で打ち鳴らしていた。45(昭和20)年7月19日の「三田空襲」で弾が貫通。空襲では児童ら5人が命を落とした。

 三田小学校の正門脇には、高さ約20メートルに育った巨大なヒマラヤスギが立っている。同小(旧三田尋常小学校)の卒業生だった海軍の中西定雄さんが初任給で母校に苗木を贈ったという。中西さんは戦争末期の44(同19)年、サイパン島を包囲する米軍航空母艦に、操縦する航空機を体当たりして戦死したという。

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