三田

  • 印刷
半身まひの母・浩美さん(左)と一緒にバイオリンを弾くたかはたゆきこさん=有馬富士共生センター
拡大
半身まひの母・浩美さん(左)と一緒にバイオリンを弾くたかはたゆきこさん=有馬富士共生センター
馬車の下から引き出されたスロープを上って乗車。「あれが一番楽しかった」と浩美さんは話す。(たかはたさん提供)
拡大
馬車の下から引き出されたスロープを上って乗車。「あれが一番楽しかった」と浩美さんは話す。(たかはたさん提供)

 介護だって楽しんだもん勝ち-。2013年に脳出血で倒れ、要介護5となった母親と娘の日々をつづったエッセー「おでかけは最高のリハビリ!」で書かれている言葉だ。執筆したのは長女のたかはたゆきこさん(45)=兵庫県三田市。今夏、旅に関わる優れた著作に贈られる「斎藤茂太賞」を受賞した。音楽の都、オーストリア・ウィーンへの旅行を目指し、母が上手にトイレができなくても笑いに変え、内職などで旅費80万円をためて実現させた。前向きに生きる秘訣は何だろう? 本の内容とともにひもとく。(山脇未菜美)

 母の浩美さん(72)は、生まれつき脳性まひの次女優子さん(37)を育てていた。優子さんは赤ちゃんの頃から声を出して笑うことも、自力でミルクを飲むこともできなかった。小学校入学まで生きることが難しいと言われていたという。

 (医師に)入院するようにとすすめられたが、母は「どうせ死んじゃうんだったら、家族一緒に過ごしてからのほうがいい」と言って強引に連れて帰ってきた。

 たかはたさんが振り返る。「母はわずかな可能性を求めて妹にリハビリさせ、土日になると決まって『遊びにいこう!』と、どんどん外出させたんです。動物園、遊園地、音楽会…。すると妹も母のたくらみにはまったのか、体が丈夫になって、今も元気でいます」

 浩美さんは自宅でバイオリン教室を開き、地元の音楽グループで活躍。「いつかウィーンで本場の音楽に触れたい」が口癖だった。

 倒れたのは65歳。左半身のまひと高次脳機能障害が残った。歩けなくなって妄想に悩まされ、時に家族の顔も分からなくなる。それでも積極的にリハビリに向かう姿に、たかはたさんは思うようになっていった。

 母は母であり、前を向くことしか知らない人であることに変わりなかった。私は母を「かわいそうな障害者」にはしないと決めていた。母が優子をそう育てたように。

 介護で大変だったのは、排泄だ。おむつを外すたびに出てしまうため「床はびしょしょ、2人ともどろんどろんになった」。ただ、たかはたさんが尿を「レインドロップ(アロマオイルの一種)」と呼んで笑うと、浩美さんは「ショパンの曲名みたいね」と笑顔をはじけさせた。

 シーツは替えればいい、トイレは拭けばいい、服は洗えばいい。そんなことより「ごめんね、汚いね、情けないね」と小さくなって謝る母を見るほうがつらかった。

 浩美さんは一度だけ涙を見せた。見舞いに来た音楽グループの仲間の励ましに「ごめんね。退院したらバイオリン練習するから」と返した。でも、左手が動かない。2人になると「もう私、弾けないかも」と顔をゆがめた。たかはたさんが話題を変えようと言った。

 「ウィーンへ行こう」

 タイトルの「おでかけは最高のリハビリ」はもともと浩美さんのモットーだ。夢で終わらさないため、まずは標準型の車いすに座れるように訓練を。次は飛行機の長時間フライトに備え、座った状態を続ける練習をした。手すりに頼らず用を足せるようにもした。

 旅のプランは3年をかけてバリアフリーの場所を細かく確認。16年に出発すると、座りすぎで皮膚が炎症を起こしたり、尻と背中が痛くなったりと「ひやひやの連続」だったが、憧れの馬車に乗ったり、ホールで念願のクラシックに浸ったり。浩美さんは大勢の親切に感謝しつつ、旅を振り返って満足そうに笑った。

 「もう夢みたいやった」

 今や浩美さんは、たかはたさんに弦を押さえもらってバイオリンを演奏する。文庫を読み、ブログも書くようになった。元気な姿を見て、たかはたさんは確信するようになったという。

 介護はある日突然やってくる。何の予告も前触れも、覚悟する暇さえなしに。親の介護に直面したとき私も『自分の人生って何なのだろう?』って考えた。在宅介護は人生の終わり。いや、そうじゃない。なぜなら、全て自分で決めたことだからだ。

 きっぱりと言った。「悔いの残らないようにやりたいことを積極的にやっておこうと思うんです。『人生は楽しむためにある!』という母の教えを守りながら」

三田の最新
もっと見る

天気(9月22日)

  • 28℃
  • 24℃
  • 70%

  • 27℃
  • 19℃
  • 70%

  • 30℃
  • 23℃
  • 50%

  • 27℃
  • 21℃
  • 60%

お知らせ