三田

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【上】人力車で人を運ぶ様子。詳しい撮影場所は不明だが、裏面に「上野松林」と書かれていた【下】有馬富士の尾根の形などを見て、志手原の成谷口辺りと推測(村上さん提供)
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【上】人力車で人を運ぶ様子。詳しい撮影場所は不明だが、裏面に「上野松林」と書かれていた【下】有馬富士の尾根の形などを見て、志手原の成谷口辺りと推測(村上さん提供)
【上】武庫川に架かる車瀬橋。カメラを据えた場所は川の中州で、共同の洗濯場だった。名水が湧く井戸があったとされる【下】面影が残る今の車瀬橋(村上さん提供)
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【上】武庫川に架かる車瀬橋。カメラを据えた場所は川の中州で、共同の洗濯場だった。名水が湧く井戸があったとされる【下】面影が残る今の車瀬橋(村上さん提供)
明治期の三田の写真について説明する村上忠男さん=三田ふるさと学習館
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明治期の三田の写真について説明する村上忠男さん=三田ふるさと学習館
【上】1899年(明治32年)に開業した阪鶴鉄道三田駅の停車場を北側から撮影。当時は町から離れた場所にぽつんと駅があった様子が分かる【下】駅は現在のJR三田駅の西側にあった(村上さん提供)
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【上】1899年(明治32年)に開業した阪鶴鉄道三田駅の停車場を北側から撮影。当時は町から離れた場所にぽつんと駅があった様子が分かる【下】駅は現在のJR三田駅の西側にあった(村上さん提供)
【上】裏面に昔の地名「松山湯」と書かれた1枚。今の松山堤交差点の南側で、かつて武庫川が流れていた【下】武庫川は今では付け替えられたが、堤のような斜面が往時の流れを思わせる(村上さん提供)
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【上】裏面に昔の地名「松山湯」と書かれた1枚。今の松山堤交差点の南側で、かつて武庫川が流れていた【下】武庫川は今では付け替えられたが、堤のような斜面が往時の流れを思わせる(村上さん提供)

 農村で人力車を引っ張る男性、阪鶴鉄道時代の三田駅…。明治時代の兵庫県三田市の様子を写した写真を紹介する企画展が1日、三田ふるさと学習館(同市屋敷町)で始まった。神戸市の歴史研究家が見つけた約40枚。当時はまだカメラの普及前で、三田の風景を残した写真は珍しいという。展示に合わせて同じ場所、角度から撮った写真も並べ、時の移ろいが分かる演出もされている。10月20日まで。(山脇未菜美)

 歴史研究家は「神戸史学会」の会員村上忠男さん(67)=神戸市垂水区。神戸・旧居留地や長崎県の福江城など、昔の建築物の模型を作る仕事に長年携わる中、古い資料を集めてきた。

 今回展示する写真は1996年ごろに東京の骨とう店で購入。かつて有馬郡の出身者が文化活動を行った「有馬会」の会員で、屋敷町に住んでいた故小橋寿太郎さんが同会に寄贈したものとみられる。大半が今の三田の写真で、裏面に小橋さんの撮影との記載があった。1899(明治32)年、三田藩主・九鬼嘉隆の没後300年を記念した心月院(西山2)での式典のほか、屋敷町や武庫川沿いの風景などが残っていた。

 同じ神戸史学会の会員で、三田市の郷土史家高田義久さん(78)に貴重な資料と評価してもらったものの、仕事が多忙で長らく保管。定年退職後に思い出して調べ始め、高田さんの紹介で、三田で企画展を開くことになった。

 村上さんは、見比べることで昔の写真を身近に感じてもらおうと、今日の町並みを撮影。山の尾根の形や、まちの歴史を知る人、地元農家らの話から、場所を推定して撮りためた。三輪北部から三田全景を撮影した写真は、現代版を撮ろうと現地に3度も足を運んだが「樹木が成長していて難しかった」と笑う村上さん。「三田の変遷の過程を想像してほしい」と話す。

 無料。月曜休館(月曜が祝日の場合は火曜休み)。午前10時~午後5時。同館TEL079・563・5587

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