三田

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【左】三田の女性のおしゃれを長年支えている「ぎんざや」=三田市中央町【右】電柱に記された「キタシンチ」の文字。隣には公園=同市中町
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【左】三田の女性のおしゃれを長年支えている「ぎんざや」=三田市中央町【右】電柱に記された「キタシンチ」の文字。隣には公園=同市中町
飲食店や電器店の看板がひしめく三田銀座通り商店街=1983年1月、武本俊文さん提供
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飲食店や電器店の看板がひしめく三田銀座通り商店街=1983年1月、武本俊文さん提供
スナック「六本木」のある無名の歓楽街。細い道に電飾看板が連なる=三田市中央町
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スナック「六本木」のある無名の歓楽街。細い道に電飾看板が連なる=三田市中央町
車の往来が激しい「赤坂」=三田市南が丘1
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車の往来が激しい「赤坂」=三田市南が丘1
神戸新聞NEXT
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 ある夜、兵庫県三田市中央町のネオン街で気になる電飾看板を見つけた。その名も「六本木」。なぜ東京の地名なんだろう? 扉を開き、カウンターで常連客らの談笑に加わると、もっと興味深い話を聞いた。「三田には銀座、赤坂という地名もあるのよ」。さらには「(大阪で知られる)北新地もあるで」。次々と出てくる大都市の歓楽街名。「でも、なんでやろうねえ?」。会話が弾む中、酔いの勢いも手伝って言ってしまった。「じゃあ、調べてみましょう」(門田晋一)

 まずは「銀座」から。中央町に「ぎんざや」というブティックを見つけ、東京の銀座にも負けないおしゃれな店内に入ると、早速手掛かりを聞けた。

 「この屋号? きっと『銀座通り』の商店街にあったからやろうね」と店主の福田利子さん(83)。その商店街はキッピーモール(駅前町)の南側にあった。約10年前に始まった駅前再開発で姿を変え、今は広い道路となって脇に高層マンションが建っている。

 今も銀座通りの場所に店がある上田電機の上田ます子さん(67)が往時の賑わいを話した。「今の3分の1ほどの道幅にスナックや寿司、パチンコとたくさんの店が並んで、朝も夜もそりゃあ人出が多かった」

 銀座の名前が付いたのは、東京にちなんで「三田一の繁華街」だったからだという。楽しい店が多く、浪費しすぎてしまうため「親不孝横町」とも呼ばれたそうだ。

 スナック「六本木」の若いママは「店を受け継いだだけで店名の由来は知らない」とする。だが、店は現在、銀座通りから外れた横町にあり、東京の位置関係になぞらえて六本木としたのかもしれない。

 続いて「赤坂」。三田町の交差点に立つ電柱に、その地名標識があった。

 そばに焼き肉料理店「赤坂苑」。店主の山田加奈子さん(74)は「客によく東京との関係を聞かれるんですが、三田の赤坂も結構古いみたいですよ」と言う。

 江戸時代には、坂の上にある近くの武家町「屋敷町」につながる坂道に多彩な名前が付けられた。年貢米を運ぶ牛が歩いた「牛くそ坂」や急勾配の「ころび坂」「すべり坂」…。赤坂もその一つだろうか。

 NPO法人「歴史文化財ネットワークさんだ」の廣山雄一さん(79)は「赤坂は屋敷町への坂でなく、播磨方面に向かう街道の坂ですね」と説明。由来は不明としつつも、昔からの地名には違いないという。

 最後は「北新地」を訪ねた。中町の電柱に「キタシンチ」の文字を発見。隣は公園で、周辺にきらめくネオンはない。と思いきや、三田市史の編さんに携わった印藤昭一さん(56)がこう教えてくれた。

 「江戸時代は間違いなく、宿や茶屋が並ぶ“繁華街”だったんですよ」

 すぐ南の武庫川を越えた先にある三田町一帯はかつて「新地」と呼ばれ、街道の町場として先に発展。その後、川に「新地橋」が架けられ、大阪北部への近道となる「新地北側の町場」という意味で「北新地」が誕生したという。

 「一帯は有馬温泉に行った客がもう一度遊ぶ場所でもあったんです」。橋は昭和初期の河川改修で撤去されたが、北新地は今も町家のような住宅が並び、江戸時代の雰囲気を残している。

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