三田

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敗戦を聞いた時の心情を「言葉にならん」と今北さん=三田市
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敗戦を聞いた時の心情を「言葉にならん」と今北さん=三田市
三田市内のゴルフ場で行われた軍事教練。後方に有馬富士が見える(語り部 三田・戦争誌から)
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三田市内のゴルフ場で行われた軍事教練。後方に有馬富士が見える(語り部 三田・戦争誌から)

■戦争は恐ろしい思想から始まる 今北初男さん(95)

 命を落とすかもしれない戦争に出兵する-。平成生まれの私には理解が難しい。経緯が知りたくなった。

    ◇

 今北初男さん(95)は1924年、農家の長男に生まれた。5歳で昭和恐慌が始まり、三輪尋常高等小学校(現三輪小)2年だった7歳で、日本軍が中国東北部に侵攻する「満州事変」が始まる。欧米の批判を受けつつ、日本はかいらい国家の満州国をつくり、国際的に孤立していく。

 8歳で日本軍が中国軍と衝突する「上海事変」が起きた。爆弾を抱えて敵陣に突入して亡くなった3人が「爆弾三勇士」と新聞に美談として載った。先生が「立派な戦死」とたたえ、現地の兵隊に励ましの手紙を書いたのを覚えている。

 〈満州事変を教科書で見てみる。「日本が中心となって独力で東アジアの国際秩序を確立しようとする」。国民は長引く不況から国の経済政策に不満を強め、軍部に期待を寄せたという。どんな時代だったのか〉

 12歳。県立三田農林学校(現有馬高)に軍事教練が入った。将校に教わって銃を空砲すると体いっぱいに振動を感じたが、これで人を殺す実感はなかった。

 「訓練をどう思うかというより、やって当たり前という雰囲気や。将校がよく『日本は必勝の国』や言いましてん。戦争に負けるという思いはかけらもあらへんかった」

 17歳。太平洋戦争が始まり、同級生10人ほどが志願兵になった。全員が戦死するとはまだ思いもしない。今北さんは志願こそしなかったが、いつか兵隊になって戦果を上げ「一人前の男になる」と疑わなかった。神戸の川崎造船所に徴用され、20歳で徴兵された。

 「徴兵検査で不合格になったら引け目を感じとったんちゃうかいな。国の役に立てへんいうことやから」

 部隊が満州国とソ連の国境にある街「神武屯」に赴くと、日本の劣勢を感じた。主力の兵隊が本土決戦に向けて部隊を抜けた。21歳。今北さんは初年兵から幹部候補生へ昇任して残され、戦友らとソ連の進撃から逃げるように南下した。

 「演習をしても弾がないねん。そしたら、沖縄やフィリピンでは、(兵隊が)手榴弾を持って敵の戦車に突っ込んでいるといううわさが出てなあ。『われわれは弾の代わりやと考えられとるのお』と戦友と言うた。訓練、訓練で考えるひまもなかったけどな」

 その年の8月15日正午。中国・奉天(現瀋陽市)郊外の兵舎にいた今北さんは、整列して玉音放送を聞いた。将校が言った。「戦争は終わった。自信のある者は部隊から出ていっていい」

 資金もなくて言葉も通じず、本土に帰りたくても「付いて来い」と言う上官はいなかった。しばらくして、奉天にとどまった兵隊、民間人へのソ連兵の略奪が始まる。日本人は多くが自決。降伏を拒んだ日本兵が現地を襲撃する事件も相次いだ。

 「何もかもどうしていいのか分からんねや。負けないと言うとったのが、負けたんやから」

 〈必勝の国-。なぜ、そこまで信じていたのだろう。今北さんの話を聞くと「勝利」が当然すぎて、考える余地もないように思える〉

 明治維新以来、日清・日露戦争、満州事変と、戦争のたびに軍需で好景気に沸いてきた日本の歴史がある。「勝ち戦ばかりしてきて、思い上がりがあったのかもしれんなあ。勝っとったら…。結果しかあらへんのやから『たら』のついた戦争はあらへん。戦争は、恐ろしい思想から始まるねん」(山脇未菜美)

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