三田

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当時の活動記録を読む城谷さん。「訓練のおかげか、現場では意外と冷静でした」と振り返る=三田市下深田、市消防署
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当時の活動記録を読む城谷さん。「訓練のおかげか、現場では意外と冷静でした」と振り返る=三田市下深田、市消防署
長田区での消火活動の様子。3カ所に「三田」の文字が見える(日本消防協会「阪神・淡路大震災誌」より)
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長田区での消火活動の様子。3カ所に「三田」の文字が見える(日本消防協会「阪神・淡路大震災誌」より)

 阪神・淡路大震災の発生から17日で25年となる。兵庫県三田市は比較的被害が小さかったが、住民たちはおのずと考えた。自分に何かできないか-。災害時に近隣自治体は何ができるのか。被災地となった神戸、西宮、宝塚市と隣接する三田市では初期の職員派遣、物資搬送だけでなく、大規模な仮設住宅や復興住宅もできて、市民らがまちぐるみで被災者を支えてきた。支援に携わった人々に聞いた。

■三田市消防署長・城谷節さん

 -三田市消防本部は震災直後、いち早く応援部隊を被災地に派遣した。

 「当時住んでいた下田中の自宅で跳び起き、午前6時すぎには消防署に入りました。同僚と市内を巡回し、大きな被害がないことを確認。午後、長田区に入った先発隊の交代要員になるよう指示があり、小隊長以下4人で向かいました」

 「本部の記録によると、午前9時55分に(ポンプと小型の水槽を持つ)タンク車が長田区に出動。同10時7分にはポンプ車が西宮市に、同10時38分には救急車が芦屋市に、それぞれ出発しています」

 「消防署の人員は56人と、現在の半分でした。車両もタンク車とポンプ車が各1台、救急車が2台と救助工作車などのみ。三田の主力をほぼ全て被災地に投入しています。神戸市北区とは元々、火事を発見したらすぐ出動するという協定がありました。(三田が助けてもらうことの方が多かったのですが…)。応援は当然の流れでした」

 -長田区は4759棟が全焼し、焼損面積は延べ約52万4千平方メートルに上った。

 「夕方に三田を出発し、サイレンやクラクションの中を長田消防署に到着。当時は携帯電話がなく、先発隊を見つけるのに苦労して、午後8時に任務を引き継ぎました。先発隊は長田・須磨の区境付近の火災現場で、放水用の水を探して転々としていたようです」

 「私が到着した頃は、JR鷹取工場にある350トンの大型水槽から送水していました。私は水槽のそばに止めた消防車に残り、無線から聞こえる『水圧上げて』などの指示でポンプを操作しました。何本ものホースをつなぐので、放水している隊員は全く見えません。暗闇の中、空がどんどん赤くなり『何とかせな』という思いばかりでした」

 -応援で得た教訓は。

 「恥ずかしい話ですが、水や食料を一切持っていなかったのです。それまでは大きな火災現場では炊き出しがあり、自分たちで持っていく発想すらなかった。18日の朝、長田消防署が各小隊に配っていた食料をもらいました。ビニール袋に食パンが3枚。4人で分けました。彼らはこの先も連日、救助活動に当たるのに、と考えると情けなくて」

 「この経験から、東日本大震災や熊本地震の応援では、隊員の食料や着替えなどを管理する後方支援隊を必ず付けています。また阪神・淡路大震災をきっかけに、従来は自治体の内側を向いていた消防が広く連携するようになったのは大きな変化だと思います」

 「長田では2日間で5隊、21人が活動しましたが、ほとんど役に立てていません。それでも、神戸の消防職員はいまだに『三田は真っ先に来てくれた』と言ってくれます。助け合いの大切さを、つくづく思います」(高見雄樹)

【三田市消防本部の応援出動】同本部の記録によると、1月17日から3月9日まで、のべ83人が活動している。神戸市長田区での消火活動のほか、西宮市と芦屋市では3小隊11人が救出活動に従事。1月17日夕には西宮市のマンション倒壊現場から母子を助け出した。救急隊は17~29日に計8隊が芦屋市や神戸市で活動し、患者の転院などを担った。ほかに遺体の搬送や救援物資の輸送にも当たった。

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