三田

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三田市の元建築指導課長、南孝司さん=三田市川除、三田市総合福祉保健センター
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三田市の元建築指導課長、南孝司さん=三田市川除、三田市総合福祉保健センター
富士が丘の仮設住宅。多くの被災者が暮らした=三田市富士が丘5(三田市提供)
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富士が丘の仮設住宅。多くの被災者が暮らした=三田市富士が丘5(三田市提供)

 阪神・淡路大震災の発生から17日で25年となる。兵庫県三田市は比較的被害が小さかったが、住民たちはおのずと考えた。自分に何かできないか-。災害時に近隣自治体は何ができるのか。被災地となった神戸、西宮、宝塚市と隣接する三田市では初期の職員派遣、物資搬送だけでなく、大規模な仮設住宅や復興住宅もできて、市民らがまちぐるみで被災者を支えてきた。支援に携わった人々に聞いた。

■元市建築指導課長・南孝司さん

 -三田市内では震災8日後の1月25日ごろに仮設住宅の建設が始まった。県によると、被災地外の市町で一番早い。

 「発生初日から市を挙げて被災地を支援する中、数日のうちに塔下真次市長(当時)から指示があったんです。『これから仮設住宅が必要になる。三田でも受け入れるから県に伝えなさい』と。県に電話をすると、感謝されつつも『そこまでの議論はまだできていない』と言われました。ただ、必ず要請は来るぞ、と確信して、職員数人で土地の選定に走りだしました」

 「広くて造成済みの平地となると、最初に浮上したのが兵庫中央病院(大原)付近のグラウンドです。しかし当時は、市の人口増加率が日本一を続けた時期。デベロッパーが下水の未整備地に住宅地を造り、汚水が農業用水に流れる問題が噴出していました。そこでグラウンドの土地を調べると下水管がありません。トラブルの芽は摘んで安心できる土地を紹介しよう。そう言って探し直しました」

 「候補は『相生町』『富士が丘』の2カ所に絞り、県の要請があるとすぐに着工し、2月末に相生町で30戸、3月末に富士が丘で214戸が完成しました。市街地とはいえ、被災者が入居してから、近隣と問題が起きたとは聞きません。人口急増期の多様な問題にもまれた経験が、選定に生きたという自負はあります」

 「その後、仮設が解消に向かうと、市としても相生町に近い『南が丘』の市有地に災害復興住宅(25戸)を建てました。やはり仮設の入居者から『三田を気に入った』という声があったのが大きかったですね」

 -震災直後は仮設住宅以外にも、市内の建設会社などに協力を取り付けて被災地を支援した。

 「地震数日後から三田市は県の要請で芦屋市を集中的に支援したんです。すると、家屋の下敷きになった住民を救出するのに重機が足りないと言われ、三田市内の建設業者たちにお願いしました。運転手も交代で派遣してくれました。また造園業者が水タンクを持っていると聞いて、業界団体に頼んで集めてもらいました」

 「当時、阪神間に抜ける峠の『盤滝トンネル』は被災確認ができておらず、緊急車両だけ通行が認められました。隊列には炊き出しの車も続いて、消防団が先頭を走ってくれて何度も芦屋を往復しました」

 「東日本大震災で関西広域連合が被災県を分担して支援する『カウンターパート方式』を採用しましたが、阪神・淡路の経験が教訓になったと思います。現地が何を求めているかを知れば支援がスムーズにできる。近隣とは日ごろから直接対話できる関係を築いておく大切さも知りました」(安藤文暁)

【災害復興公営住宅の整備】1995年8月、県は震災で住まいに困った低所得者や高齢者のために「住宅復興3カ年計画」を策定し、計17万3311戸を供給した。三田市内で被災者向けにできた災害復興住宅は2カ所で、南が丘の市営住宅が25戸、武庫が丘の県営住宅が305戸。仮設住宅に使われた土地は現在、相生町が公園となり、富士が丘は住宅地として整備されている。

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