三田

  • 印刷
富士が丘の仮設住宅で援助を行っていた大町和男さん=三田市富士が丘6
拡大
富士が丘の仮設住宅で援助を行っていた大町和男さん=三田市富士が丘6
1997年12月8日付の神戸新聞三田版。仮設住宅の現状をシリーズで紹介した
拡大
1997年12月8日付の神戸新聞三田版。仮設住宅の現状をシリーズで紹介した

 阪神・淡路大震災の発生から17日で25年となる。兵庫県三田市は比較的被害が小さかったが、住民たちはおのずと考えた。自分に何かできないか-。災害時に近隣自治体は何ができるのか。被災地となった神戸、西宮、宝塚市と隣接する三田市では初期の職員派遣、物資搬送だけでなく、大規模な仮設住宅や復興住宅もできて、市民らがまちぐるみで被災者を支えてきた。支援に携わった人々に聞いた。

■元自治会長・大町和男さん

 -フラワータウン内にある三田市富士が丘で「6丁目自治会」として仮設住宅団地の支援に携わった。

 「当時はニュータウン造成のまっただ中でした。私の家は6丁目で、まだ周りはほとんど空き地やったね。震災から1カ月ほどたった2月くらいかな。私は自治会長をやっていて市から聞いたんです。隣の5丁目に仮設ができる、と」

 「入居が始まったのは5月です。中は4畳半と6畳で台所がある2K。124戸がずらーっと並んでました。神戸と宝塚のお年寄りが多かった。鉄板屋根で夏は蒸し暑い。冬は底冷えするからと、壁や床といったパネルのつなぎ目に細い板を打って、すき間風対策をしていた人もいましたね」

 「自治会の女性たちが集まって毎週1回、炊き出しをしました。カレー、ビーフシチュー、おでん…。私の家内はよく『喜んでもらえるし、みんなでワイワイするのが楽しい』と言うてましたわ。三田の人たちも布団や着るもの、鍋、茶わんやとか、たくさん寄付してくれました」

 「私は仮設に毎日通いましたが、日常に必要なものを被災者に配る役回りです。みんな家がつぶれて物がなくなっているので『あそこの家の方が量が多い』だとか苦情を言われることもありました。まあ、人間やからね。『けんかせんとー』と言いながら場を収めました。移って来られた人に『大変でしたね』と言葉を掛けると、わっと泣いちゃう人もいました。一人暮らしのおばあちゃんが『家もつぶれてどないしてええか分からへん』ってね」

 -被災者が憩いの場として利用できるふれあいセンターも自治会役員や民生委員らで運営した。

 「30人くらいが入れる集会所やね。入居者が集まれるようにって、月1回の喫茶会をしました。正月には餅つき大会、夏はバーベキュー。いろいろやりましたよ。私は趣味の手品を披露しました。トランプに鼻の脂をちょっと付けてね。するとトランプから大根が出るんです。『何が起きたの?』と聞かれるので、何回も見せてね。冬にはみんなでバスに乗って有馬温泉に一緒に入ってね。たわいもない話でよく笑いました」

 「転居する日には『別れたくない』って泣いてくれたり、『三田が好きになった』と言って近くの復興住宅に住んだ人もいたり。閉鎖から数年は立ち寄ってくれる人もいて、お手伝いしてよかったなあと思いました。たくさんの人の優しい気持ちを感じられました。県外から劇や音楽演奏の慰問に来てくれてね。そういうのがうれしかったねえ」

 「25年になる今も支援に携わった人と年賀状のやり取りがあります。不思議なつながりだと思います。ただやっぱり、大きな災害が起きないに越したことはありません」(山脇未菜美)

【三田の仮設住宅団地】相生町に30戸、富士が丘に214戸ができ、富士が丘ではピーク時に165世帯が入居した。転居先となる公営住宅を巡っては、神戸の競争率が100倍を超えるなどして難航したが、1998年5月、入居者全員が恒久住宅への転居を決めて役割を終えた。入居者に季節ごとに花を贈った高校生や、孤独になりがちな高齢者を訪ねた相談員など多くの市民が支援に関わった。

三田の最新
もっと見る

天気(4月10日)

  • 15℃
  • ---℃
  • 10%

  • 12℃
  • ---℃
  • 20%

  • 15℃
  • ---℃
  • 0%

  • 14℃
  • ---℃
  • 10%

お知らせ