三田

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東日本大震災で支援に入った仙台市の地図を広げる、市健康増進課の西中いづみ副課長=三田市川除
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東日本大震災で支援に入った仙台市の地図を広げる、市健康増進課の西中いづみ副課長=三田市川除
阪神・淡路大震災で家を失い、多くの人が避難した神戸市立神楽小学校の体育館=1995年1月22日、神戸市長田区神楽町1
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阪神・淡路大震災で家を失い、多くの人が避難した神戸市立神楽小学校の体育館=1995年1月22日、神戸市長田区神楽町1

 阪神・淡路大震災の発生から17日で25年となった。兵庫県三田市は比較的被害が小さかったが、住民たちはおのずと考えた。自分に何かできないか-。災害時に近隣自治体は何ができるのか。被災地となった神戸、西宮、宝塚市と隣接する三田市では初期の職員派遣、物資搬送だけでなく、大規模な仮設住宅や復興住宅もできて、市民らがまちぐるみで被災者を支えてきた。支援に携わった人々に聞いた。

■保健師・西中いづみさん

 -各市町の保健師は、病気の予防や健康増進を担う公衆衛生の専門家だ。災害が起こると、被災者が身を寄せる避難所が主な活動場所となる。

 「阪神・淡路大震災から10日ほど後、三田市からの応援保健師として西宮市に入りました。血圧計と体温計などを詰めたリュックサックを背に自転車をこぎ、西宮の保健師らと4人一組で、避難所の体育館を回りました。至る所で道路が割れていて、半分くらいは自転車を押して歩きました」

 「どの体育館にも、数百人がすし詰めの状態で避難していました。『保健師チームがやってきました。体調の悪い方はいませんか』。4人が体育館の四隅に分かれ、一斉に声を張り上げます。狭く、寒い避難所ではせきや発熱など風邪の症状を訴える人が多く、後から来る医師チームに情報をつなぎました」

 「前年の4月に、育児休業から復帰したばかり。4歳と1歳の子どもを家族に預け、電車と徒歩で被災地を往復しました。準備作業や日常業務のバックアップなど、さまざまな人たちに支えられて現地での活動ができたんだと思います」

 -震災後の5月に入居が始まった富士が丘、相生町の仮設住宅でも、被災者と向き合った。

 「業務の合間に、仮設に入居された方を訪問して健康状態を尋ねました。もちろん重度ではなく通院程度の人たちですが、話をすることで少しでも不安を取り除いてもらえればと。『いつかは神戸に帰りたい』と繰り返されたのが印象に残っています」

 -西中さんはその後、2004年の台風23号で被災した日高町(現豊岡市)、11年には東日本大震災の被災地、仙台市若林区にも派遣された。

 「三田から3人が1台の車に乗り、震災から12日後に現地入り。兵庫県の保健師チームの一員として3日間活動しました」

 「避難所で『調子はいかがですか?』と聞くと、皆さん何かしゃべってくれます。自分の体のことは話せるんです。健康の話題から入って、何でも聞けるのは保健師の最大の強み。避難所での困りごとや要望を聞き出して、ボランティアらいろんな人につなぎます。少々オーバーかもしれませんが、被災者支援の最前線にいるのが保健師なんだと感じました」

 「見る・つなぐ・動くは保健師の原点です。本人の思いを聞き、様子を観察する▽1人で対処できなければ、関係機関や同僚につなぐ▽みんなで考えて動く-。被災地だからといって、特別なことは求められていません。支援者同士がつながれば、被災者にも良い支援になる。三つの被災地の経験から、そんな思いを強くしています」(高見雄樹)

【災害時の保健師活動】阪神・淡路大震災で全国の保健師から支援を受けた兵庫県は、他府県の大規模災害時にいち早く駆け付けられるよう「災害時の保健師活動ガイドライン」を作成。発生直後から1年以降までを六つのフェーズに分け、具体的な動きを定めている。県健康増進課によると、県内の自治体には計1286人の保健師がおり、災害の状況に応じて各市町に応援を求める。

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