三田

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旧陸軍が大阪造兵廠の疎開工場として建設していたトンネル=三田市藍本
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旧陸軍が大阪造兵廠の疎開工場として建設していたトンネル=三田市藍本
トンネルの入り口=三田市藍本
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トンネルの入り口=三田市藍本
地下工場を調査した菊田穣さん=三田市三田町
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地下工場を調査した菊田穣さん=三田市三田町
菊田さんが描いた全体図。30年前はトロッコ用の枕木もあった。聞き取りでは発電所もあったという。
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菊田さんが描いた全体図。30年前はトロッコ用の枕木もあった。聞き取りでは発電所もあったという。
かつて地下にプロペラ工場があった場所=三田市けやき台3
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かつて地下にプロペラ工場があった場所=三田市けやき台3

 太平洋戦争末期、旧日本陸軍が本土決戦に備えて兵庫県三田市藍本地区の地下に兵器工場を作ろうとしていた。間もなく終戦75年になる今も未完成のトンネルが残っていると聞いて、現地に詳しい男性に案内してもらった。削岩機のドリル跡などが生々しく残るが、戦争の遺構として整備されるでもなく、野ざらしになっている。(小森有喜)

 山あいの住宅街を抜け、うっそうとした雑木林を進む。山の斜面に、高さ2メートルほどの大きな穴があった。

 入ると上から水が滴り、懐中電灯で壁面を照らすとドリル跡がくっきり。落盤防止用の木枠をはめたとみられる規則的なくぼみやコンクリートの水路もあり、50メートルほど直進すると外に出る。別のトンネルは奥行き約10メートルで、行き止まりの壁には直径約5センチの穴があった。聞くと、掘り進めるために爆破させるダイナマイトの置き場らしい。

 案内してくれた元小中学校教諭の菊田穣(みのる)さん(84)によると、トンネルは高さ約30メートルの岩丘の東西から4本を掘り、約25メートル間隔で平行に伸ばそうとしていた。「貫通した一番北側を含む2本以外は、入り口の茂みが深くて立ち入れません」

 ここには、国内最大級の軍需工場「大阪陸軍造兵廠」の疎開工場が作られる予定だったという。戦争末期に大阪の空襲が激しくなる中、旧陸軍は工場をひそかに地方に分散、移転しようとしていたのだ。

 旧陸軍が作成した「大阪砲兵工廠(こうしょう)年表」には、昭和19(1944)年に小型兵器の製造移転を計画したとある。三田市立藍小学校の沿革史は製造兵器を「迫撃砲」などと記載。別の陸軍資料は計画面積を「26万7540平方メートル」と記す。

 菊田さんは30年前に遺構を調査したメンバーの一人。それまで地元では防空壕(ごう)だと思われていたという。工事には多くの朝鮮人が駆り出され、藍国民学校高等科の生徒も勤労奉仕として手伝わされていた。

     ◇

 戦争末期に市内で計画された軍需工場は他にもあったという。市南部のウッディタウンにあるけやき台の地下にもトンネルがあり、尼崎市の住友プロペラ(現・住友精密工業)の疎開工場として秘密に建設していた。

 1945年12月5日の神戸新聞には、数千人の労働者を駆り立てて突貫作業をしたとの記事がある。しかし忘れ去られてニュータウンが開発され、1998年に陥没事故が発生。トンネルの真上にあった10世帯が転居する事態となったが、これを機に埋め立てられて今は残っていない。

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