三田

  • 印刷
高さ1.2メートルに育った「被爆樹木二世 アオギリ」=三田市川除
拡大
高さ1.2メートルに育った「被爆樹木二世 アオギリ」=三田市川除
被爆者の救護活動に当たった経緯を話す葛下友和さん=三田市
拡大
被爆者の救護活動に当たった経緯を話す葛下友和さん=三田市

 兵庫県三田市総合福祉保健センター(川除)の平和のモニュメント横にすくすく育つ1本の木がある。看板に書かれた名前は「被爆樹木二世 アオギリ」。75年前の広島の原爆で焼けながら再び芽吹いた木の種から育った。三田市では被爆体験を語ることのできる「語り部」が1人だけになり、戦渦を生き抜いた木は、語り部と共に平和の大切さを訴え続けている。(喜田美咲)

 被爆アオギリは、爆心地から北東約1・3キロの旧広島逓信局(ていしんきょく)の中庭にあった。熱線や爆風で幹が焼けてしまったが、翌年の春には再び芽吹き、被爆者の心の支えになった。広島市が平和活動の一環として世界中に2世を贈っている。

 三田市では2015年、終戦70年を節目に開かれた「平和を考える市民のつどい」に合わせて住民らが植えた。「小さかった苗木が順調に大きくなってうれしい」。植樹に携わった当時の三田市遺族会長、大西勲さん(83)=三田市=が振り返る。

 植えたのは、農家だった父が出兵前に「百姓(ひゃくしょう)になれよ」と託してくれた土地だった。父が戦死すると農業を継ぎ、守ってきた結果、不思議な縁で平和を祈る場所になったことを喜ぶ。

 「父が出ていった日のことを思い出すと昨日のことのように涙がこみ上げる。今なお被爆の後遺症で苦しむ人の存在を伝え、平和のありがたみを感じられる場所であり続けてほしい」

     ◇

 植樹から5年がたち、約30センチだった苗木はおよそ120センチに成長した。県によると今年4月現在、三田市内で被爆者健康手帳を持つのは37人となっている。

 しかし、語り部を続けるのは、同市の葛下(くずした)友和さん(94)だけ。「日本原水爆被害者団体協議会」で会長を務める「丹有の会」は高齢化が進み、組織的な語り部活動はできなくなってしまったという。

 当時19歳だった葛下さんは、通っていた広島工業専門学校の校舎窓から、晴れ空を飛ぶ米軍爆撃機B29に気付いた。直後にピカッと辺りが光り、とっさに机の下に隠れると壁が倒れ、砂ぼこりが舞った。北へわずか約2キロ先が爆心地だった。

 助けを求める人々を救護しようにも学校には消毒薬しかない。全身にウジがわいて手を施せない人を1カ所に集め、軽傷者に薬を塗って回った。

 自身にも貧血などの被爆後遺症があり、風評被害が嫌で隠し続けたが、15年前に三田に引っ越してきて体験を話すようになった。

 今年も恒例となったゆりのき台小学校をはじめ、学園小やけやき台小から講演の依頼が相次ぐ。

 葛下さんは「人の暴力を止められるのは人しかいない」と考えている。原爆を使うのも学校で暴力を振るうのも同じだと児童に伝えている。

 「相手の気持ちを考えて仲良くする。ささいで当然に思えることが、平和をつくる大切なことなんだ」

 原爆の日の今月6日、三田市内は真夏日となって蝉しぐれが響き、太陽に向かって伸びる被爆アオギリ2世が風に揺れていた。

 葛下さんが言った。

 「科学が発達する中で原爆の経験者は減っていく。私たちは核兵器を持ってはならない。伝えられる限り声をあげ続けようと思う」

三田の最新
もっと見る

天気(9月24日)

  • 28℃
  • 24℃
  • 40%

  • 28℃
  • 22℃
  • 40%

  • 28℃
  • 23℃
  • 30%

  • 31℃
  • 23℃
  • 30%

お知らせ