三田

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妻の朝江さんとおしゃべりする谷口實男さん。「家では8割妻が話してる」と笑う=2019年9月、三田市
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妻の朝江さんとおしゃべりする谷口實男さん。「家では8割妻が話してる」と笑う=2019年9月、三田市
ベランダから見える濃緑。インパール作戦で歩いたジャングルと重なるという=三田市
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ベランダから見える濃緑。インパール作戦で歩いたジャングルと重なるという=三田市

 草木をかき分けて真っ暗闇を進む-。昨年11月、兵庫県三田市に暮らす谷口實男(じつお)さん(101)が散歩中に市内の森に迷い込み、一晩中さまよった。何度も転倒して胸の骨を折り、翌朝に道で倒れているところを発見されて一命を取り留めた。入院先を見舞うと、かすれ声で言った。「インパール作戦を思い出しました」。それは太平洋戦争で最も無謀と言われ、およそ9万人が出兵して6万人以上が命を落とした作戦だ。終戦75年になっても心にすみ着く体験を聞いた。(取材班)

■三田の森で見えたあの“地獄”

 私たちが谷口さんに出会ったのは昨年9月、敬老の日に合わせ、市内の最高齢夫婦を紹介する記事の取材だった。その3カ月前、生まれ育った京都府福知山市から、子どもらが暮らす三田に引っ越してきていた。

 自宅のベランダからうっそうとした森が見える。戦争中、日本軍が占領したビルマ(現ミャンマー)から英領インドのインパールに攻め込んだ作戦を振り返り、谷口さんは「歩いた雰囲気が似てるんです」と懐かしそうに笑みを浮かべた。

 なぜ、たくさんの仲間を失った“地獄”にもう一度足を踏み入れたのだろう。

 真っ暗闇のジャングルに、バケツをひっくり返したような雨が打ち付ける。1944年7月、通信兵だった谷口さんの部隊は撤退していた。

 インパール作戦が無謀な作戦の代名詞として語られるのは、食料や弾薬の補給を軽視したからだ。ビルマからインパールへ約300キロの山越えをした先で反撃され、敗走した。

 小銃を肩、飯ごうを腰にぶらさげ、通信機材が入った30キロの荷物を担いで歩く。敵に見つからないように夜だけ進み、ふんどしまでずくずくにぬれて草木をかき分けると、先に行ったはずの兵士が足元の泥につかって息絶えていた。

 食べるものを求めて仲間の多くが毒草や生水で体を壊し、マラリアや赤痢にかかって死線をさまよった。谷口さんは竹の先は食べても大丈夫と信じ、飯ごうで湯がいて飢えをしのいだ。

 「時々ね、ジャングルの闇で爆発音が聞こえるんです。あ、自決したんやろなと。動けなくなると手りゅう弾で死ぬのが暗黙の了解でしたから。捕虜になるくらいやったら、自分で自分を処理せえってね」

 取材中、妻の朝江さん(98)の言葉が気になった。「終戦後に夫婦になってから、この人は一度も私にも、子どもにも怒ったことがないんです」

 實男さんは、今でも当時を夢で見るという。

 夜が明け、雨の合間に太陽がギラギラと密林を照らした。目を向けた道端には、泥まみれの死体が隙間なく横たわっている。全身が膨れあがり、ハゲタカが肉や目玉をつつくと、やがて骨になった。かすかに息をしている者を見ても、どうすることもできなかった。

 「自分のことで精いっぱいで、辛うじて生きてる者には死臭も気にならない。何も感じなくなってくるんです。あれだけ人が死んでいくのを見るとね、怒ることさえあほらしくなる。人の命が、虫けらみたいになるんですから」

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