三田

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米軍機のものとみられる薬きょうを手にする中嶋さん=桑原
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米軍機のものとみられる薬きょうを手にする中嶋さん=桑原

 15日は終戦の日。75年前、戦禍は兵庫県三田市にも及んでいた。太平洋戦争末期の1945(昭和20)年7月19日、数機の米軍機が児童4人と成人女性1人の命を奪い、高次地区の農家4戸を全焼させた。市民の記憶から薄れつつある空襲の記憶を経験者3人から聞いた。(小森有喜)

■銃弾、雨のように降った

 国鉄三田駅から300メートルほど東に行ったあたりでしたね。銃弾の雨が降り注ぎ、横にあった田んぼの水がバチャバチャと水しぶきを上げていたのを覚えています。とっさに伏せましたが体の数センチ横を弾がかすめ、恐怖で体が硬直しました。

 急いで家に帰ると、お向かいの女性が田んぼで草刈り中、頭に被弾して亡くなっていました。飛び散った脳みそを誰かが拾ってあげたのでしょう。女性が使っていた帽子にまとめられていました。あの光景は脳裏から離れません。

 私よりも西側で被弾して亡くなった4年生の女の子は森田さんといって、大阪から縁故疎開していました。病院に運ばれましたがなすすべがなく、「水、水、水」と繰り返しながら息を引き取ったと聞きます。

 終戦後に田んぼで作業をしていた際、その時のものと思われる薬きょうを見つけました。今も大切に保管しています。経験を語り継いでいかないといけません。

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