三田

  • 印刷
有馬富士のふもとに家が立ち並ぶ住宅地=三田市尼寺
拡大
有馬富士のふもとに家が立ち並ぶ住宅地=三田市尼寺
昨年まで井戸水をくみ上げていた水道施設=三田市尼寺
拡大
昨年まで井戸水をくみ上げていた水道施設=三田市尼寺
街角に置かれた野菜箱=三田市尼寺
拡大
街角に置かれた野菜箱=三田市尼寺

 人や風景がうつろい、まちは螺旋(らせん)階段を上るように変化していく。大規模なニュータウン開発で1996年まで10年連続の人口増加率日本一を記録した兵庫県三田市は当時、全国有数の新都市(ネオポリス)だった。子育て世代にあふれた「兵庫県で最も若いまち」は時を経て今、前例のない高齢化の大波にさらされようとしている。三田の住生活を考えるシリーズ「ネオポリスの螺旋」第1回はニュータウン開発のさなか、民間業者らが続々と手掛けて問題化した「ミニ開発地」の今を歩く。(小森有喜)

■住民組織で水道施設運営

 「住宅地ができて50年が迫るのに、ようやく上水が通ったらしい」。読者からそんな情報を聞いた。

 JR新三田駅から車で10分。三田のシンボル的な名山・有馬富士(標高374メートル)の山すそにへばりつくように約100戸の宅地が並ぶ。森と雑木林に囲まれ、入る道は1本しかない。

 「有馬富士住宅」。1972年、民間業者がミニ開発した住宅地だ。当時、市が開発を規制できない「都市計画区域外」にあって上下水道は通らず、業者が井戸を掘り、トイレはくみ取り式、生活排水は川に流していた。ところが数年後に業者は倒産し、連絡も取れなくなってしまった。

 「投げ出された状態ですよね。そうこうすると79年夏、水が止まったんです」

 開発当初から住む小東裕さん(74)が、住宅地の最上部に立つトタン屋根の小屋を案内してくれた。看板には「水道施設 配水池」。地下最大90メートルから水をくみ上げ、中の電気設備で各戸に流す。開発業者から委託された業者が管理していたが、知らぬ間に倒産して渇水していたのだ。

 住民がこぞって市に問い合わせるも告げられた。「住宅地内の道路が市道になっていません。これでは、上水を通せない」。初めて知らされる事実だった。

 市内の農村部に生まれた小東さん。結婚して第1子が生まれ、貯金は少なくてもマイホームの夢をかなえたかった。駅にそこそこ近く、大阪へのアクセスも良く、さらに水も使い放題-。広告に間違いはなかったが、欠陥だらけだった。

 「正直、しまったと思いました。でもローンを組んで今更動けない。腹を決めるしかありませんでした」

     ◇

 住民たちで水道管理組合をつくり、水道施設の運営費を徴収して賄うことにした。水量が落ちると市に掘削を求め、各戸の緊急トラブルに対応する当番を決めた。「水の出が悪くなった」と相談があるたびに工具を手にして駆け付けた。

 「夜中でも仕事中でも飛んでいくんです。当番とはいえ、みんな素人ですよ。私は趣味で水道をいじっていたことがあり、勉強して教えもし、みんなに技術力が付いたんです」

 2年後の81年夏には、市道認定に向けた委員会を自治会で立ち上げた。規格に合わない道が多く、区画整理が必要だった。線引きすれば土地が減る世帯もあり、住民間交渉は難航。週末ごとに話し合いを続けた。

 すべての道路が市道になったのは92年だ。それでも上水を通す工事の料金負担で意見が分かれ、全戸一致で実現したのは27年後の2019年夏になった。

     ◇

 住宅地を巡ると驚く。手入れされた菜園、花壇が多く、取れたての野菜が街角で「ご自由にお持ち帰り下(くだ)さい」と箱に入っている。新しい家も目立ち、入居希望者も絶えないという。

 小東さんが言う。「協力しあってきた分、絆は強いですよ。暮らしやすいまちを、みんなで手作りしたという自負があるんです」

 では、こんな住宅地がどうしてできたのか。

【三田市のミニ開発】北摂ニュータウンの開発に伴い1970年に県が定めた都市計画区域は市域の4割しかなく、6割の区域外は都市計画法の規制を一切受けない“白地地区”だった。ここに民間業者による住宅地開発が相次いだが、ライフラインの未整備などで問題化。96年に市は全国初の要綱「花と緑と水のまちづくり指導要綱」を施行し、白地地域を規制が最も厳しい「市街化調整区域」に準ずると定め、98年に都市計画決定した。

三田の最新
もっと見る

天気(10月27日)

  • 21℃
  • ---℃
  • 0%

  • 21℃
  • ---℃
  • 0%

  • 22℃
  • ---℃
  • 0%

  • 22℃
  • ---℃
  • 0%

お知らせ