三田

  • 印刷
酒蔵で話す岡村理恵さん=三田市木器
拡大
酒蔵で話す岡村理恵さん=三田市木器
直売する店舗。かやぶき屋根の居宅と酒蔵は棟続きで江戸時代末期に建てられたという=三田市木器
拡大
直売する店舗。かやぶき屋根の居宅と酒蔵は棟続きで江戸時代末期に建てられたという=三田市木器
試飲コーナー。古い酒造りの道具なども展示している=三田市木器
拡大
試飲コーナー。古い酒造りの道具なども展示している=三田市木器
田んぼに囲まれた酒蔵。この日は雪が降っていた=三田市木器
拡大
田んぼに囲まれた酒蔵。この日は雪が降っていた=三田市木器

■「三田の酒」継承にやりがい

 明治時代から続く「家業」の後継者だ。岡村酒造場(兵庫県三田市木器)次期当主の岡村理恵さん(45)は、物心ついた時から生活の中に酒造りがあった。「自然と向き合うから、面白い酒ができる」。米どころの三田にはかつて何軒もの造り酒屋があったが、今はここのみに。商品はほぼ市内で流通しており、まさに地酒を醸している。(聞き手・土井秀人)

 --創業は1889(明治22)年。父で5代目の隆夫さん(78)と理恵さんの2人で営む。

 幼い頃から酒造りを手伝っていたんです。冬になればボイラーの音が聞こえてきて、湯を沸かし、米を蒸す。早朝に起きて、こうじも作るし、仕込みも手伝う。それが当たり前だった。

 4姉妹の一番下ですが、「誰かが継がなければ」という思いはありました。もの作りは嫌いじゃないし、体も大きいから、姉妹の中では最も向いていると感じていた。酒造りには体力が必要だから。父と同じ東京農業大学短期大学部に進学し、醸造を学びました。

 戻ってきてから2年ほどは社会勉強として市役所の臨時職員や建設会社の事務職で働いたけど、その時も冬になれば酒造りは続けていました。

 --仕込みは11月から始め、12月中には搾り終わる。年間1万8千リットル弱を醸造する小さな蔵だ。

 かつては桶売り(大手酒造会社への販売)もしていたから、量も造っていて、杜氏(とうじ)や蔵人にも来てもらっていたそうです。でも、そういう時代ではなくなるだろうと見据え、設備をやり替えた。今は父が当主兼杜氏となり、家族で切り盛りしています。

 2016年からは、酒米「五百万石」もうちの田んぼで作るようになったんです。それまで買っていた生産者が高齢になったから。4月に種をまき、5月に田植えをし、9月に収穫する。10月には蔵の掃除など、酒造りの準備が始まる。一から十までやるのは大変だけど、やりがいがありますよ。

 --酒は「生き物」だ。大手のように空調設備は整っておらず、年々の季候に合わせて仕込まなければならない。

 温度管理が一番難しい。特に近年は、急に暖かくなったり寒くなったりする。毎日毎日、酸やアミノ酸、アルコール度数などのデータを分析しながら、理想のお酒を目指して試行錯誤をしています。

 毎年同じようにはいかないから、面白い。お客さんも「今年は香りがいいね」「味がおいしくて良かった」と言ってくれて、新酒の時期には遠くからも買いに来てくださる。出来栄えは毎年違ってもいいと思っているんです。

 --三田は米どころ。明治・大正期には日本一の酒造地帯「灘五郷」へ多くの米を出荷していた。市内にも造り酒屋が多く、半世紀前には6軒あった。

 昔はそれぞれの地域に醤油(しょうゆ)屋や酒屋があったんですってね。家で切らしたらそこに買いに行くように。うちにも、お客さんが量り売りでお酒を買う時に使った「通いとっくり」が残っています。

 初代は醤油屋だったけど、2代目から酒屋になった。そこから家業として続いているんです。銘柄「千鳥正宗」は大正時代に品評会で賞を取った時、主催者が名付けてくれました。飲み口の軽やかな、ほろ酔いの酒にちなんだそう。それまでは「山草正宗」という銘柄でした。

 かつては自転車の後ろに一升瓶を積んで宝塚まで配達していたようです。割れないように一本一本にこもをかぶせて。酒屋として、地域の需要に応えていたんでしょうね。

 全国にたくさん蔵があるけど、その土地土地で味が違う。水や米、それぞれの地元にこだわっている。「これが三田の酒」と出せればいいなと思ってます。

【岡村酒造場】午前8時半~午後7時。月曜休業。現在は季節限定の生酒を発売中で大吟醸は三田産の山田錦を使用。電話やメールで注文を受け付ける。TEL079・569・0004

三田
三田の最新
もっと見る
 

天気(5月17日)

  • 22℃
  • 16℃
  • 0%

  • 25℃
  • 12℃
  • 0%

  • 23℃
  • 16℃
  • 0%

  • 24℃
  • 15℃
  • 0%

お知らせ