西播

  • 印刷
旧庁舎の写真集を作った職員の重末さん(中央)と森文彰さん(右)、高見良さん
拡大
旧庁舎の写真集を作った職員の重末さん(中央)と森文彰さん(右)、高見良さん
近く解体される太子町役場旧庁舎=太子町鵤
拡大
近く解体される太子町役場旧庁舎=太子町鵤
役場庁舎落成時の記念写真(太子町提供)=太子町鵤
拡大
役場庁舎落成時の記念写真(太子町提供)=太子町鵤
不便も多かった旧庁舎。今では懐かしい思い出に(重末素子さん提供)=太子町鵤
拡大
不便も多かった旧庁舎。今では懐かしい思い出に(重末素子さん提供)=太子町鵤

 兵庫県太子町は近く、旧役場庁舎の取り壊し工事を始める。町が産声を上げて間もない1955年に完成し、2年前に約500メートル西方に整備された新庁舎へ移転するまで60年間、町政の中心施設だった。企業城下町、播磨のベッドタウンとして急成長を遂げた「雄町太子」のシンボルが姿を消す。(松本茂祥)

 太子町は1951(昭和26)年、斑鳩町と石海村、太田村が合併し誕生。55年に龍田村を編入し、今の町域となった。当初の人口は約1万4千人だった。

 太子町役場は、旧石海村の役場を仮庁舎にしてスタート。旧斑鳩町役場への引っ越しを経て55年に落成した新庁舎の本館は、当時としては珍しい鉄筋コンクリートの2階建てだった。

 太子町報によると、当時相次いだ台風や豪雨への対策を考慮したという。

 年率2けたの上昇カーブを描いた人口は、88年に3万人を突破。これに伴い64年に本館3階を増築した。72年に西館、77年には南館と建て増しを繰り返した。

 この間、役場の移転話が浮上したが、文化会館の整備などを優先し、庁舎は後回しになった。

 弁当のにおいが立ちこめる昼時の風景など、昔ながらの役場の雰囲気を漂わせる反面、職員が増えて手狭になり、老朽化や耐震不足も明らかに。

 建造から60年を経た2015年、役割を終えた。

 職員からは別れを惜しむ声も。OBの男性(68)は「時代の流れとは言え寂しい。まちの成長を見守り、私自身も長い間世話になった。お疲れさんと声を掛けてやりたい」と残念がる。

 町によると、本館と西館を取り壊し、南館は一部改修して利用する。全体の跡地計画は今後検討するという。

閉庁が迫る日々を約35枚の写真で記録した小冊子「拝啓、庁舎様。」を作った職員の重末素子さん(44)の話

 旧庁舎の建設に携わった住民に会ったことがあります。誇らしげだったのが印象的でした。この建物から人がいなくなると想像したとき、何か形に残したいという衝動に駆られました。

 同じ思いで写真を撮りだめていた同僚が協力してくれました。職員に配ったり、退職される先輩らに贈ったりして、とても喜んでもらえました。

 1階にしかなかった給湯室からお茶をこぼしそうになりながら急な階段を運んだり、職場内の狭い通路でごみ箱を何度も蹴飛ばしたり…。

 あちこちほころんだいすとか、古くて不便だったことは数え上げればきりがない。だけどその分、思い出も愛着もたくさん育めたと思います。

西播の最新
もっと見る

天気(7月21日)

  • 34℃
  • 28℃
  • 10%

  • 37℃
  • 25℃
  • 10%

  • 36℃
  • 28℃
  • 10%

  • 38℃
  • 27℃
  • 20%

お知らせ