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研修生らに技術を伝える廣門マツヱさん(手前)=赤穂市加里屋
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研修生らに技術を伝える廣門マツヱさん(手前)=赤穂市加里屋

 木綿織りじゅうたん「赤穂緞通」の織り子だった廣門マツヱさん(97)=兵庫県赤穂市=が、NPO法人「赤穂緞通を伝承する会花工房」の技術研修工房「つむぐ」(同市加里屋)で指導している。1、2カ月に1度訪れ、8人に増えた研修生が少しずつ織り進む作品を見たり、体験を話したり。技術を吸収したいという研修生の熱意と、伝えようという廣門さんの思いの双方がつながる。

 御崎では明治時代から、塩田労働者の子女の副業として赤穂緞通が発展した。大正から昭和初期の最盛期には、約200人の織り子が10軒以上あった緞通場で生産に携わり、英国などにも輸出された。

 廣門さんは1921(大正10)年に地元で生まれた。小学生の頃から母親に教わって織り子となった。結婚後、子育て中も子どもを緞通場で遊ばせながら織った。赤穂緞通の市選定保存技術保持者で昨年9月に亡くなった阪口キリヱさんとは同級生。昭和40年代に1軒だけとなった緞通場で阪口さんと働いた。孫の世話のため、60歳ごろに退職。緞通場が閉鎖される1991年まで働いた阪口さんが「最後の織り子」となった。

 廣門さんは「伝承する会」理事長の井関京子さん(65)から頼まれ、2011年から指導を開始。15年に同会の指導顧問になった。

 今月20日、工房を訪れた廣門さんは「1台の織機に2人が入り、17台あった織機で1カ月に70枚を織った」と昭和初期の忙しさを振り返った。研修生の作品を一つ一つ見ては「きれいに糸を摘んでいる」「現代風でこんな柄は見たことないわ」などと話し掛けた。

 研修生は廣門さんのはさみの使い方までスマートフォンで撮影する。高木克枝さんは「『手が震える』と言いながら、はさみを持つとしっかりして手つきが違う。技術を目にする機会は貴重」と感激した様子。廣門さんと阪口さんから体験を聞き取った井関さんは「技術をしっかりと伝えたい」と話した。(坂本 勝)

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