西播

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ホルモン焼きうどんを鉄板で調理する金剛正和さん(中央)と初代の英子さん(右)、秀樹さん=相生市那波大浜町
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ホルモン焼きうどんを鉄板で調理する金剛正和さん(中央)と初代の英子さん(右)、秀樹さん=相生市那波大浜町
金剛山の店内=相生市那波大浜町
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金剛山の店内=相生市那波大浜町
建て替え前の金剛山(2015年)=相生市那波大浜町
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建て替え前の金剛山(2015年)=相生市那波大浜町
2016年に建て替えた金剛山=相生市那波大浜町
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2016年に建て替えた金剛山=相生市那波大浜町

 ホルモン焼きうどんの老舗「金剛山」(兵庫県相生市那波大浜町)に1月から、3代目の金剛正和さん(27)が加わった。大阪での2年の修業を終え、初代の祖母英子さん(79)、2代目の父秀樹さん(52)とともに腕を振るう。1966年の開店時は造船業に沸く港町のにぎわいに支えられたが、その後、市は少子高齢化が進む。縮む古里の現実を見据えながら、「祖母が始め、父が大きくした店を守りたい」と跡を継ぐ覚悟を固めた。

 鉄板で熱したホルモンとうどんをコテで絡める。「注文が相次いだ時も一つずつ丁寧に焼くように、と言われています」と正和さん。大阪へ出る前は店を手伝っていたこともあり、慣れた手つきで名物料理を仕上げた。和牛のホルモンはぷりぷりと歯ごたえがあり、甘辛い自家製のたれが味を引き立てる。祖母と父が若き3代目の奮闘を見守る。

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 創業した1960年代は、相生湾の造船所で働く労働者が街にあふれていた。夕暮れ時になると、仕事終わりの男たちが赤ちょうちんを掲げた店にやって来た。船底に使う大きな鉄板で商売を始めた英子さんは「当時は港近くから駅前まで、20軒くらいホルモン焼きうどんの店があった。うちにも押し合いへし合い。若い子は立って食べていたこともあった」と懐かしむ。

 秀樹さんが厨房に立ち、長男正和さんも店を手伝いながら「跡を継ぎたい」と思うようになった。しかし、造船業は衰退し、ほとんどのホルモン焼きうどん店が廃業した。秀樹さんは「なかなかもうかる商売じゃない。継がせることへの不安もあった」と打ち明ける。

 正和さんは相生高校を卒業後、東京や姫路の店で経験を積んだ。真摯に取り組む息子の姿勢に、秀樹さんは「店を建て替えようと思う」と伝えた。事実上の後継指名。正和さんは受け入れ、2016年に数千万円かけて新築した。

 その後、正和さんは大阪市内で働きながら飲食店経営者らが集う経営塾で学んだ。伝統の味を守りながら、「新メニューの開発や会員制交流サイト(SNS)による情報発信にも取り組みたい」と意気込む。

 同級生の多くが相生を離れたが、「みんなが帰省した時、集まってくれる場になれば。そして、100年続く店にしたい」と力を込めた。午後5~10時。月曜休み。金剛山TEL0791・22・5564

(伊藤大介)

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