西播

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店主の鈴木誠さん(右から3人目)と従業員たち。和気あいあいとした雰囲気が漂う=赤穂市加里屋中洲6
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店主の鈴木誠さん(右から3人目)と従業員たち。和気あいあいとした雰囲気が漂う=赤穂市加里屋中洲6
昭和40年代の店舗。当時の屋号は「赤穂パン」で、学校や病院への卸売りをしていた。手前が父の鈴木悟さん(誠さん提供)=赤穂市加里屋中洲6
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昭和40年代の店舗。当時の屋号は「赤穂パン」で、学校や病院への卸売りをしていた。手前が父の鈴木悟さん(誠さん提供)=赤穂市加里屋中洲6
店に転機をもたらしたあこうクリームパン。地元の丸尾牧場の生乳を使っている=赤穂市加里屋中洲6
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店に転機をもたらしたあこうクリームパン。地元の丸尾牧場の生乳を使っている=赤穂市加里屋中洲6
鏡餅をイメージした年末限定商品。地元の赤穂みかんをのせて=赤穂市加里屋中洲6
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鏡餅をイメージした年末限定商品。地元の赤穂みかんをのせて=赤穂市加里屋中洲6
店内には常にさまざまな種類のパンが並んでいる=赤穂市加里屋中洲6
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店内には常にさまざまな種類のパンが並んでいる=赤穂市加里屋中洲6

 毎日一つ以上、ユニークな新商品を開発し続け、県内外から客が来る人気店に成長したパン店「あこうぱん」(兵庫県赤穂市加里屋中洲6)。店主の鈴木誠さん(50)は祖父勇さんから数えて3代目になる。約60年の歴史がある老舗だが、長い間不人気をかこってきた。成長の過程には、家族の苦しみや喜びが詰まっている。あこうぱんの物語と味を紹介する。(田中伸明)

 「小学生の頃、うちのパンが学校給食に使われていたのですが、正直言っておいしくなかった。『お前の家のパンはまずい』といじめられ、よく泣いて帰りました」。当時の誠さんは、家がパン店であることがいやで仕方なかった。

 「おいしくなかった」のには理由がある。

 祖父の勇さんはもともと米の販売店を営み、パンとは無縁。地元のパン店3店が経営難に陥ったとき、経営を引き受けた。従業員を救うためだったという。ところが、職人が反発してやめてしまう。素人の祖父らが、見よう見まねで作らざるを得なかった。

 2代目の父悟さん(75)も、もともとは公務員。母の年子さん(72)と結婚したくてパン店を継いだが、パン作りは素人だった。学校でいじめられた息子に「何でうちはパン屋なんね」と泣かれたとき、とても悲しそうだったという。

 3代目の誠さんは、店を継ぐ気はさらさらなかった。北海道の帯広畜産大に進み、バイト先でかわいい女の子に出会う。パンが好きと聞き「実家はパン屋やねん」と自慢してしまった。それで人生が変わる。

 バイト先の近くのパン店に駆け込み「おいしいパンを作ってあげたい」と相談した。その店で初めてもらったバイト代で、パンの材料を買った。作って食べてもらうと「おいしい」と言ってくれた。それが妻美都(みやこ)さん(45)である。

 実家に帰り、店を継ぎたいと打ち明けた。母年子さんは泣いて怒った。「私たちがどれだけ苦労してると思ってるの」。父悟さんはどこかうれしそうだった。

 神戸の有名な店で修業したが、なじめず心が折れた。そのときも美都さんの「まこちゃんのパンを食べたい」の一言に救われた。

 毎日午前1時に厨房(ちゅうぼう)に立ち、新商品を作る。重視するのは赤穂の食材。塩、カキ、ミカン…。ヒットして定番商品になるのは一部だが、毎日楽しみにしてくれる近所のお客さんがいる。

 地元への思いが強いのには理由がある。誠さんが小学校に入学する直前、自宅が火事になり、一つ下の妹由(ゆかり)さんを亡くした。どん底に突き落とされた家族に、まちの人たちが温かく手を差し伸べてくれたという。

 それから父悟さんが変わった。わきめもふらずに働き、商品開発を重ねた。キムチとたくあんを使った「キムタク」(145円、税別)は今も人気商品だ。阪神・淡路大震災のとき、被災地に送られたパンが「おいしい」と評判になり、少しずつお客さんが増えた。

 日々、チャレンジを続ける。その遺伝子は、親子3代にわたって引き継がれている。

【あこうぱん】祖父の鈴木勇さんの代に「播州製菓」として創業。もともとは学校や病院への卸売りを手掛けていた。父悟さんの代に小売りに転換。誠さんが店に入った後、世代を問わず親しめるようにと今の店名に変更した。営業は平日午前6時~午後6時、土日祝日は午前7時~午後6時。月火定休。あこうぱんTEL0791・42・3565

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