西播

  • 印刷
女性宅のすぐ横を通る溝。2年前の西日本豪雨では水があふれる手前だった=佐用町下本郷
拡大
女性宅のすぐ横を通る溝。2年前の西日本豪雨では水があふれる手前だった=佐用町下本郷
早めの避難について語る東本郷の元自治会長、仲村唯義さん=佐用町下本郷
拡大
早めの避難について語る東本郷の元自治会長、仲村唯義さん=佐用町下本郷

 2009年8月9日、兵庫県佐用町で20人が犠牲になった県西・北部豪雨から11年がたとうとしている。歳月とともに町の復興は進んだが、被災地の一部では大水害の経験ゆえに危うい理解も広まる。「あの時被害がなかったから、うちは大丈夫」「避難するより家にいた方が安全」。全国的に豪雨災害が頻発する中、11年前の教訓を胸に刻む元自治会長は地域ぐるみで備えることの大切さを訴える。(勝浦美香)

 平成時代で最悪の被害となった18年7月の西日本豪雨。佐用町でも6日深夜に大雨特別警報が発令され、町は全域に避難勧告を出した。しかし、実際に避難したのはピーク時でも129人。決して多くはない数字だった。

 そんな中、1人では避難が難しい高齢者を避難所まで自家用車で送り届けた男性がいた。当時、同町三日月の東本郷地区で自治会長を務めていた仲村唯義(ただよし)さん(69)。地域の危険箇所や、1人では逃げられない住民を日頃から把握していたという。

 6日昼、降りやまない雨に地区住民が不安な様子を見せ始めた。砂防ダムの近くに1人で暮らす女性(85)は、いつもとは打って変わって大量の水が流れるダムを目にした。ダムからの水は自宅横を通る細い溝に流れ込む。「この溝があふれたら、家はたちまち水浸しになる」。そう思うと、身がすくんだ。

 民生委員でもあった仲村さんには、その女性が車を運転できないことも含め、状況が事前に分かっていた。地域には他にも同様の高齢者がいる。もしもの場合は自治会長である自分がサポートしなければと感じ、普段から「何かあれば一緒に避難しよう」と取り決めていた。

 夜9時を過ぎても雨脚は強まるばかり。仲村さんは女性に電話をかけ、避難について話し合った。耳が遠くて呼び鈴が聞こえないこともあるため、玄関の鍵は開けておく。離れて暮らす家族がいれば、避難の連絡を入れておく。いくつかの確認を終えた仲村さんは、日付が7日に変わったころ、車で女性を迎えに行った。

 さらに90歳を超えるもう1人の女性宅にも寄り、一緒に避難所の三日月中学校へ。長く暗い上り坂を、雨が勢いよく流れる。高齢者が1人で歩けるような状況では到底なかった。

 2人は雨が収まる夜明けまで避難所で過ごし、自宅へ戻った。「結果的に家は無事だったけど、もうひと雨降っていたら…。1人で待機することへの不安も大きかったので、避難できて本当によかった」と自宅横に溝のある女性は振り返る。

 仲村さんは「死にたくなかったら逃げなあかん。でも、『逃げられん人がおる』ということを知っておくのも地域の役目」と語る。

 「避難のことは1日や2日で決められる話ではない。長い時間をかけて、本人や家族と話し合っておく。それが大事やと思う。佐用がもう一回ああなったらどうするか。改めて考える機会があってもいいんじゃないか」。十年一昔。被災の傷痕が消えた今こそ、備えの大切さを訴える。

西播の最新
もっと見る

天気(9月21日)

  • 28℃
  • 21℃
  • 0%

  • 25℃
  • 15℃
  • 10%

  • 28℃
  • 21℃
  • 0%

  • 29℃
  • 20℃
  • 10%

お知らせ