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「核兵器も戦争も絶対にだめ」と話す今岡淑己さん=太子町内
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「核兵器も戦争も絶対にだめ」と話す今岡淑己さん=太子町内

 長崎はきょう9日、75回目の原爆忌を迎える。兵庫県太子町に暮らす今岡淑己(ひでみ)さん(82)は長崎出身。原爆投下翌日の10日、親戚を探すために爆心地付近を訪れ、入市被爆した。当時は7歳だったが、その記憶は生々しい。証言に耳を澄ませた。(安藤真子)

 今岡さんは1937年、長崎県西部の漁村、式見村(現・長崎市式見町)に生まれた。

 あの日は兄やその友人と波止場で遊んでいた。午前11時ごろ、突然、紫色の稲光が辺り一面を覆い、思わず目と耳をふさいだ。そばにあったドラム缶の陰に隠れたが、警防団に「何しとるんじゃー」と避難するよう怒鳴られ、急いで自宅近くの防空壕(ごう)へ逃げ込んだ。その晩は山林で一夜を明かした。

 当時、姉夫の弟が長崎医科大の学生で、9日も夏季講習に出掛けていた。その姿を捜すため、今岡さんは姉夫婦らに連れられて長崎市内に向かった。荷車がやっと通れるほどの道を2~3時間歩き、爆心地にほど近い城山(しろやま)から眺めた。

 目に映ったのは、どこまでも続く焼け野原。捜していた親戚に関する情報はなく、その場を後にした。翌日も大学周辺を歩いたが手掛かりはつかめず、諦めざるを得なかった。

 姉におんぶされて市内を訪れた際、手ぬぐいをかぶせられていた。「今思い返せば、死体や焼け野原などの惨状を私に見せないようにしてくれたのかもしれない」。においも強烈だった。鼻につくにおいとも、魚が腐ったにおいとも違う。真夏に人が、街が焼けた異臭は「言葉で表現できない」という。

 終戦後、父親のいる長崎市内に身を寄せた。長屋に住む隣の男の子は髪の毛が薄くなり、下痢が続いて歯茎から出血していた。若い女性は片側から見ると美人だが、反対側にはケロイドを負っていた。

 ただ、今岡さんが驚くことはなかった。それほどまでに、日常的な光景になっていたからだ。

 結婚し、68年には長男が誕生した。まず確かめたのが、手足の指があるかどうかだった。生まれるまで、被爆の影響が出ないか不安だったという。仕事の関係で69年ごろ、太子町へ移り住んだ。

 その後、バスの運転手に転職し、90年に被爆者健康手帳を取得。65歳で退職する直前、運転中に突如として心臓の痛みに見舞われた。心筋梗塞だった。狭心症を原爆症と認定してもらうため、2008年に集団訴訟し勝訴した。

 被爆から75年。「戦争に正義も不正義もない。人間は武器を持ってはならない」。核兵器だけでなく、人と人が命を奪い合う戦争のない世界を切に願う。

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