西播

  • 印刷
今も有線放送が流れる黒電話。福田麗子さんの写真が貼られた1966年の有線放送手帳や職員手帳も残る=相生市
拡大
今も有線放送が流れる黒電話。福田麗子さんの写真が貼られた1966年の有線放送手帳や職員手帳も残る=相生市

 JA兵庫西(兵庫県姫路市)は同県赤穂市有年地区を中心に続けてきた「有年有線放送」を30日に廃止し、約60年の歴史に幕を下ろす。隣接する同県相生市の一部も放送エリアに含み、同JAでは唯一の有線放送事業だった。情報伝達や通信手段としてライフラインの役割を果たしてきたが、携帯電話の普及や設備の老朽化などで使命を終える。(坂本 勝)

 有線放送は決められた時間がくると、契約家庭の電話機に設置されたスピーカーから自動で天気予報やニュースが流れる仕組み。農協からのお知らせや緊急の防災情報のほか、地元の催しや葬儀・告別式の案内など地域に密着した情報も随時、届けていた。

 同JAは事業継続に努めたが、インターネットなど通信技術の高度化や人口減による契約者の減少、さらには設備老朽化で維持管理が難しいこともあり、廃止を決めた。加入者に配布した通知では、「万一、設備故障が発生すると、事業継続が困難な状況になることや取り巻く環境・状況を鑑みた結果、役割を終えることとなった」と説明し、理解を求めている。

 終わりを惜しむ人は多い。相生市の福田勝樹(かつき)さん(60)は母の麗子さんが1960年代、後に同JAと合併することになる矢野農協に有線放送のオペレーター職員として勤めていた。6月に86歳で亡くなった母の遺品には、66年当時の「有線放送手帳」もある。福田さんは「当時は電話回線をつなぎ変えるため、3人で作業し、プラグを差し替え、放送もしていた」と振り返る。

 放送で毎朝、目が覚め、正午と午後3時の時刻を知り、午後6時台の放送で一日が終わりを告げる。「地域ではこうしたライフスタイルが続いてきたので残念で寂しく思う人は多いと思う。有線放送は農村の歴史と文化を担ってきた」と話す。

 赤穂市有年地区に住み、三十数年前まで20年間、有線放送に携わった女性(73)は「放送については素人だったので研修を受けて、間違えないように気を付けた。なくなるのはやはり寂しい」と話した。

 同JAは10月から有線放送設備の撤去工事を約1年半かけて順次進める予定。

【有線放送設備】1932(昭和7)年、当時の逓信省(現在の総務省など)とNHKが有線ラジオ共同聴取設備を設置。ラジオの共同聴取のほか、マイクロホンを通じ、告知放送や自主番組を流すようになった。50年ごろから電話を兼ねるように工夫され、電気通信の不便な農山漁村に普及した。

西播の最新
もっと見る

天気(10月26日)

  • 20℃
  • 11℃
  • 0%

  • 21℃
  • 8℃
  • 10%

  • 21℃
  • 11℃
  • 0%

  • 22℃
  • 10℃
  • 10%

お知らせ