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奥田孫太夫が堀部安兵衛、高田郡兵衛と共に大石内蔵助に宛てた手紙=赤穂大石神社
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奥田孫太夫が堀部安兵衛、高田郡兵衛と共に大石内蔵助に宛てた手紙=赤穂大石神社
奥田孫太夫の「落去留書」を手にする飯尾義明宮司=赤穂大石神社
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奥田孫太夫の「落去留書」を手にする飯尾義明宮司=赤穂大石神社

 赤穂大石神社(兵庫県赤穂市上仮屋)は赤穂義士の奥田孫太夫(まごだゆう)(1647~1703年)自筆の覚書「落去留書(らっきょとめがき)」を収蔵し、義士宝物殿で公開を始めた。元禄14(1701)年の赤穂城の明け渡し後、討ち入りの約1年前まで、孫太夫が大石内蔵助や堀部安兵衛、原惣右衛門らとやりとりをした手紙を控え、義士の動向を記した貴重な原本だ。(坂本 勝)

 孫太夫は馬廻(うままわり)・江戸武具奉行で150石。堀部安兵衛や討ち入りに加わらなかった高田郡兵衛と共に江戸急進派の代表格で、57歳で生涯を閉じた。婿養子の奥田貞右衛門も討ち入りを果たし、26歳で切腹した。

 孫太夫の孫、清十郎は父貞右衛門の母の実家、徳島藩士、仁尾(にお)家へ養子に入った。仁尾家にあった落去留書は戦後、所在不明になった。今年2月、同神社が所在を知り、購入した。和とじで縦24センチ、横17センチ。

 孫太夫は大石内蔵助に宛てた書状で「吉良上野介は生きている。殿のあだを討つため早く討ち入りたい。江戸に来て指揮を執ってほしい」と懇願している。また「早く江戸に来てほしい」と内蔵助に頼んだのに返事がこないため、催促した手紙もある。

 覚書は元禄14年11月10日で終わっている。同神社の佐藤誠・非常勤学芸員(48)=東京都=は「高田郡兵衛が同士から脱落したことが原因で孫太夫は筆を折ってしまったのではないか」と推測する。

 飯尾義明宮司は「当時の緊迫したやりとりや、江戸急進派の『早く討ち入りたい』と願う切迫した思いが伝わってくる」と話す。

 義士宝物殿を含む義士史料館は入館料450円(中学生以下無料)。同神社TEL0791・42・2054

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