兵庫県福崎町西田原にある県指定文化財「大庄屋三木家住宅」の主屋で、6代当主・三木通明の旅日記「江戸紀行」をテーマにした特別展が開かれている。気むずかしいとみられていた当主が、人生で初めて富士山を見た感動や宿屋でのハプニングを赤裸々につづった原本と、関連文書計約20点を展示。日記から浮かび上がる旅路の様子をパネルで解説する。12月6日まで。(井上太郎)
同町教育委員会が主催。三木家は明暦元(1655)年に飾磨津(現姫路市)から辻川村(現福崎町)へ移り住み、通明は西光寺野の新田開発を進めた。
大坂の懐徳(かいとく)堂に学び、漢詩などの教養が深かった通明だが、視覚、聴覚、嗅覚が鋭いがゆえ神経質な性格だったとも考えられている。
そんな通明が文政5(1822)年1~2月、姫路藩主酒井忠実(ただみつ)の昇進を祝うため、初めて江戸へ赴く。
当時、通明は41歳。江戸紀行には往復約60日間、バラエティーに富んだエピソードが感情豊かにつづられる。まずは往路の東海道で詠んだ喜びの一首。
今日までは 名にのみききし するがなる 富士てふ山を はじめてぞみる
江の島では観光に夢中で「是非一度は参るべき所なり」と絶賛する。復路は東海道を離れて日光や信州善光寺に立ち寄り、往路より10日ほど長い日数をかけて辻川へ戻った。
肝心の藩主との面会についてはなぜか一切触れられていない半面、宿に手違いで遊女がやってきたり、名物のうなぎの味が期待外れだったりという思い出が書き留められている。
特別展では当時、通明と同じ目的で江戸に向かった姫路城下大年寄(おおどしより)の旅日記も紹介。こちらは事務的な記述が大半のため、町教委の担当者は「通明はよほど旅を楽しんだのだろう。興味や関心に素直な、新たな一面がのぞく」と話す。
無料。午前9時~午後4時半。月曜、祝日の翌日、12月1~4日は休館。同町教委TEL0790・22・0560
