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高校時代より20キロ体重が増え、「無理のない範囲で走れたら」と話す西岡斉さん=市川町上瀬加
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高校時代より20キロ体重が増え、「無理のない範囲で走れたら」と話す西岡斉さん=市川町上瀬加
1964年の聖火リレーでランナーを務めた西岡さん。写真は友人に撮ってもらった
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1964年の聖火リレーでランナーを務めた西岡さん。写真は友人に撮ってもらった

 姫路城三の丸広場(兵庫県姫路市本町)で23日に実施される東京五輪の聖火リレー。市川町の元高校教師・西岡斉(ひとし)さん(73)は、1964年の東京五輪に続いて聖火ランナーを務める。当時は飾磨工業高の2年生。前回に続く大役を心待ちにしていたが、新型コロナウイルスの影響で公道での走行は中止に。本番を前に「果たして楽しんでいいのか」と複雑な思いも抱える。(伊藤大介)

 西岡さんは緊急事態宣言の延長による大幅な計画変更に「仕方ないですよね」とため息をつきながら、57年前のリレーを振り返ってくれた。

 飾磨工業高陸上部員だった西岡さんは、全国高校総体男子400メートル、800メートルに出た好選手だった。当時の聖火ランナーは16~20歳の体力のある若者から選ばれた。西岡さんは陸上部の監督から突然、「聖火に決まったぞ」と告げられ、7月には姫路東高グラウンドでの練習会に参加。「前を見て真面目に走るように」と指導された。

 64年の東京五輪が開催されたのは10月で、姫路には9月に聖火が届いた。西岡さんは沿道の声援に背中を押され、トーチを手に夢前橋を出発。先導する白バイ隊員はその健脚を見るや、「(予定よりも)遅れとるからスピード上げたいんや」と速度を上げた。

 「(随走する)中学生たちが大変ですよ」とためらう西岡さんだったが、白バイはぐんぐん加速した。「必死でついていったことしか覚えていない。当時は厳しくて、笑顔で手を振るなんてとんでもないことだった」と苦笑する。

 大学卒業後、高校教師になり、母校の飾磨工業高では2008年の箱根駅伝で9区区間記録を打ち立てた篠藤(しのとう)淳選手(山陽特殊製鋼)らを育てた。2度目の東京五輪開催が決まった際は「もう一度、聖火ランナーとして走ることができれば」と胸が高鳴った。

 だが、コロナで状況は一変した。応募時の高揚感は薄れている。五輪中止を求める声が高まり、リレー辞退者も出ている。「純粋に楽しみたかった。辞退した人も本意ではなかったはず」と心情を察する。

 応援は親族らに限って認められ、本番では娘や孫がリレーを見守る。「どんな気持ちで走ったらいいのか、まだ整理がつかない。『おじいちゃんは2度、聖火ランナーを務めたんだ』と記憶に残ってくれたら」とささやかな願いを口にした。

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