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60年以上にわたりアイアンヘッドを研磨する井内幸男さん=井内ゴルフヘッド工業(撮影・大山伸一郎)
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60年以上にわたりアイアンヘッドを研磨する井内幸男さん=井内ゴルフヘッド工業(撮影・大山伸一郎)

■刀鍛冶から転身、礎築く

 兵庫県市川町がうたう「アイアンヘッド発祥の地」。そのルーツをたどると、川辺村(現同町西川辺)出身の刀鍛冶・森田清太郎にたどりつく。

 約90年前の1920年代後半、森田は県工業試験場三木分場の研究員・松岡文治からアイアンヘッドの製造を持ち掛けられた。当時、松岡は三木で計画されていたゴルフ場建設に先立ってヘッドの開発などに携わっていた。試行錯誤の末、完成したのは30年。森田は森田ゴルフを、退職した松岡は日本ゴルフを、ともに姫路で設立した。

 戦時中はゴルフクラブの製造が禁じられたが、戦後再開されると姫路で創業が相次ぎ、市川でも森田の後を追うように職人が独立していった。

 県機械金属工業指導所(現県立工業技術センター)の資料によると、1986年ごろ、市川町にはゴルフ用品を製造する会社が29社あり、姫路の32社に匹敵した。アイアンヘッド製造は文字通り、同町の地場産業へと発展した。

 今も研磨加工を担う井内ゴルフヘッド工業(同町神崎)の井内幸男さん(82)は、54年に15歳で森田ゴルフに入り、見よう見まねで技術を磨いた。森田社長から直接教わることはほとんどなかったが「僕は父がいなかったから、社長は家族のようだった。仕事が終わると毎日風呂をもらいに行っていた」と懐かしむ。

 森田ゴルフは量産化に向けた機械化に積極的だった。井内さんは、英国の工場を視察した社長が「うちにもあんな大きな機械があれば」と話し、工場をどんどん改良していく意欲を見せていたのを覚えている。

 ゴルフ人口が大きく増えた60~80年代、大手メーカーの受託生産で姫路市や市川町の全国シェアは高まり、7割に達した時期もあった。ただ、受託ゆえに積極的なPRは難しかったようだ。共栄ゴルフ(同町西川辺)の坂本敬祐(けいすけ)社長(48)は「大手メーカーからは市川町で製造していることを公表しないよう求められていた」と明かす。

 風向きが変わったのは、大手メーカーが人件費や材料費の安い海外での生産を始めた90年代。市川町の各社は活路を見いだそうと、培った技術を生かしてオリジナルブランドの立ち上げに動いた。この頃、姫路勢は新しい提案ができずに衰退していった。

 いち早く独自ブランド化を進めた三浦技研の三浦信栄(しんえい)社長(49)は、全国各地へ営業に出向いたときの苦労を語る。「いいものを作れば売れるという発想が抜けず、買ってもらうという考え方がないことを指摘された。門前払いのゴルフ用品店もあった」

 だが、その経験が一人一人に合ったクラブを特注で請け負うシステムにつながった。ゴルファーの満足度をとことん追求する姿勢は、これからも変わることはない。(吉本晃司)

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