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兵庫城の天守台跡とみられる二重の石垣。沈下を防ぐため底に木材が敷かれている=神戸市兵庫区中之島2(市教育委員会提供)
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兵庫城の天守台跡とみられる二重の石垣。沈下を防ぐため底に木材が敷かれている=神戸市兵庫区中之島2(市教育委員会提供)
兵庫城の天守台跡とみられる二重の石垣。沈下を防ぐため底に木材が敷かれている=神戸市兵庫区中之島2(市教育委員会提供)
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兵庫城の天守台跡とみられる二重の石垣。沈下を防ぐため底に木材が敷かれている=神戸市兵庫区中之島2(市教育委員会提供)
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 兵庫県の神戸市教育委員会は27日、JR兵庫駅南東の「兵庫津遺跡」(同市兵庫区)で進む発掘調査で、戦国時代末期に築かれた兵庫城の天守台跡とみられる石垣が見つかった、と発表した。築城を指示した織田信長が、西国進出の拠点としたことを裏付ける貴重な遺構という。発掘調査で天守台跡が明らかになるケースは極めて珍しい。

 この調査は昨年2月、同市中央卸売市場本場跡地(約2万5千平方メートル)で始まり、今月末に終わる。

 天守台とみられる石垣は約18メートル×約4メートルを確認し、高さは3~5メートルと推測される。実際の石垣はさらに広く、天守は11メートル×13メートル程度だったと考えられる。

 石垣は二重構造。底に「胴木」と呼ぶ木材を敷き、重みで天守が部分的に沈むのを防ぐ技術「胴木組」を採用している。胴木は9本見つかり、信長が考案したこの技術としては、国内最古級という。

 石垣が二重である理由は(1)築城中に情勢が緊迫し、本丸、石垣を拡張する必要が出てきた(2)強度を保つため、石垣の外側にさらに石垣を造り補強した-のいずれかという。

 石垣に詳しい考古学者森田克行さん(64)は「当時最先端の胴木組という技術を用い、強固な城を築こうとした。信長が中国攻めの拠点として重視した証し」とする。現地一般公開は28日午後1~3時。小雨決行。兵庫津遺跡発掘調査事務所TEL090・2352・5613

(藤村有希子)

【兵庫城】1580(天正8)年、織田信長の命を受けた家臣池田恒興が築城。敵対する荒木村重が治めた花熊城(花隈城)を解体し建築資材に使ったという。江戸期には尼崎藩の支庁、幕府直轄領の出先機関として活用。1868(明治元)年には最初の兵庫県庁が置かれたが6年後、新川運河の開削で本丸の大半が姿を消した。周辺では町屋群や堀などが見つかっている。

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