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三高野球部時代の島田叡氏(後列左から5人目)
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三高野球部時代の島田叡氏(後列左から5人目)

 砲火の下で住民保護に尽くした最後の官選知事島田叡(あきら)氏への思いは、70年をへて沖縄の人々の間で熱く受け継がれている。奥武山(おうのやま)公園(那覇市)内に県民の手で顕彰碑が建立されるのに合わせ、同公園の野球グラウンド(多目的広場)が、学生野球の名選手だった島田氏の球歴にちなみ、「兵庫・沖縄友愛グラウンド」と名付けられる。兵庫に生まれ、沖縄の人々を守った島田氏の縁が両県を固く結ぶ。

 島田氏は旧制神戸二中(現兵庫高)時代から俊足・巧打の外野手として活躍。三高(戦後、京都大に統合)をへて東京帝国大(現東京大)に進み、主将としてチームをけん引し、在学中に三高野球部監督も務めた。

 東京ドーム内の野球殿堂博物館には、戦没野球人の一人として名が残る。三高野球部の1年後輩だった評論家中野好夫(1903~1985年)は、島田氏の評伝で「将来、沖縄にできる野球場に、島田さんの名を記念して付けてもらいたい」と書いた。

 「兵庫・沖縄友愛グラウンド」は右翼90メートル、左翼85メートルの外野天然芝。大型スコアボードもスタンドもなく、同じ公園内の「沖縄セルラースタジアム那覇」に見劣りするが、草野球や少年野球大会などで県民に親しまれる。

 名称は、40年以上にわたる兵庫沖縄友愛提携の歴史も踏まえた。近くには、1975年に島田氏の縁で始まった兵庫県民の募金などで建設された「沖縄兵庫友愛スポーツセンター」の跡地と記念碑もある。

 元沖縄県高野連理事長の安里嗣則(あさとつぎのり)さん(75)は「沖縄の高校球児は、『島田杯』が贈られる新人大会を通じ、甲子園で勝つことで島田さんに恩返ししようと練習に励んできた。このグラウンドで球を追う全ての人に、野球人でもあった島田さんに思いをはせてほしい」と語った。

 26日、島田氏の顕彰碑とともに、「グラウンド碑」が除幕される。除幕式に参加する兵庫高同窓会「武陽会」の小林正美副理事長(56)は「悲壮なイメージとは別に、若き日に野球に打ち込んだ島田さんの人物像が伝わるのはうれしい」と話す。(森本尚樹)

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