社会社会shakai

  • 印刷
現在の摩耶観光ホテル跡。周囲は草木が生い茂り、建物全体を見ることは難しい=いずれも神戸市灘区(日本サービス社の許可を得て撮影)
拡大
現在の摩耶観光ホテル跡。周囲は草木が生い茂り、建物全体を見ることは難しい=いずれも神戸市灘区(日本サービス社の許可を得て撮影)
昭和初期のホテル外観。せり出した部分が客船のブリッジを思わせる(灘百選の会提供)
拡大
昭和初期のホテル外観。せり出した部分が客船のブリッジを思わせる(灘百選の会提供)
ガラスが割れた丸窓越しに荒れた内部がうかがえる
拡大
ガラスが割れた丸窓越しに荒れた内部がうかがえる
神戸新聞NEXT
拡大
神戸新聞NEXT

 神戸市灘区の摩耶山中で昭和初期に完成し、平成になって20年以上放置されてきた旧「摩耶観光ホテル」の外観が、今年12月ごろからハイキングイベントで近くから見学できる見通しとなった。現在は立ち入り禁止の柵が設けられ、生い茂る樹木などで遠くからしか見えないが、廃虚マニアらの間で人気の存在に。地元住民らが歴史遺産として再評価し、摩耶山の活性化につなげようとしている。(田中靖浩)

 旧「摩耶観光ホテル」は、摩耶ケーブル(現まやビューライン)の運営会社が摩耶山温泉ホテル(摩耶ホテルとも)として1929(昭和4)年に開業。斜面を利用した鉄筋4階建てで阪神間を一望でき、曲面のある外壁や丸窓など意匠を凝らした造りから「軍艦ホテル」とも呼ばれてきた。

 戦後しばらくの休止を経て、5階建てに改築し61年に再開。経営難から学生向けの合宿所となった後、93年に閉鎖された。草深い山中で朽ちる建物のたたずまいが独特の雰囲気を生み、映画の撮影や朗読会など、表現の舞台として度々利用されている。

 地元も同ホテル跡の活用を模索してきた。灘区内の各種団体が集まり2011年に発足した「摩耶山再生の会」が、産業遺産の保存や活用に取り組む同市兵庫区のNPO法人「J-ヘリテージ」などと連携。炭鉱住宅群などが残る長崎市の「軍艦島」(正式名・端島(はしま))視察後、ホテル建物の所有者である不動産賃貸業、日本サービス(大阪府箕面市)へ公開の協力を求め、昨年末に賛同を得た。

 同会は、週末などに定期的に催すハイキングイベントで見学できるよう想定する。山中に残る近代の遺構群と併せてガイドが案内。市から補助を受け、今年秋から見学用通路の整備やパンフレットの作成などに乗り出す。詳細が決まり次第、同会のホームページなどで参加者を募る予定。

 建物については専門家の調査で「本体に大きな問題はない」とされたが、現時点では建物内への立ち入りは控え、内部の公開や活用は今後検討する。

 同会事務局長の慈(うつみ)憲一さん(50)は「かつての神戸市民は今よりもっと六甲・摩耶山に親しんでいた。ホテルはそれを物語る代弁者。建物と歴史に触れることで、神戸にとって山がどういう存在なのかを感じてもらえたら」と話す。

■長崎の軍艦島が火付け役

 廃虚が公的に公開されている国内唯一の事例とみられるのが、長崎市の「軍艦島」だ。元島民らが再評価を後押しし、公開開始の2009年度に5万5千人だった観光客は、15年に「明治日本の産業革命遺産」の一環として世界文化遺産に登録されたことで、28万7千人へと急増した。

 江戸時代に石炭が見つかり、明治以降に大規模開発。周囲1・2キロの小島に50棟以上の鉄筋住宅が建てられ、最盛期の1960年ごろには5千人以上が住んだものの、エネルギー政策の転換で74年に閉山した。近代の産業遺産を再評価する動きが活発化する中で、元島民らが「軍艦島を世界遺産にする会」を立ち上げて活動。登録が実現した。

 閉山後は立ち入りが禁止されていた島が人気の観光地となったことについて、長崎市観光政策課は「廃虚としてではなく、日本の近代化に果たした島の歴史的役割に着目した」と指摘。一方で「全ての建物を保存するには膨大な費用が必要。(世界遺産の構成要素としての)外観を形成しているものに限って保存するなど、将来的には選択が必要になるかもしれない」とする。

社会の最新
もっと見る

天気(5月25日)

  • 23℃
  • 19℃
  • 60%

  • 24℃
  • 16℃
  • 60%

  • 24℃
  • 19℃
  • 70%

  • 25℃
  • 19℃
  • 70%

お知らせ