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孫文(前列左から5人目)を囲む神戸の華僑や日本人の実業家ら。写真は1913年に神戸・舞子で撮影され、その4年後に発足する協会には多くが参加した(神戸日華実業協会提供)
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孫文(前列左から5人目)を囲む神戸の華僑や日本人の実業家ら。写真は1913年に神戸・舞子で撮影され、その4年後に発足する協会には多くが参加した(神戸日華実業協会提供)

 神戸在住の華僑と日本人の実業家らでつくる団体「神戸日華実業協会」が創立100周年を迎えた。日中間の戦争による活動休止、国交すらない時代を乗り越え、国際貿易都市・神戸の発展を支え続けた1世紀。協会が支援した中国の革命家、孫文が残した言葉「なお努力すべし」を胸に、現会員らは日中友好に役立とうと決意を新たにしている。

 前身の日支実業協会が発足したのは1917(大正6)年3月。第1次大戦中の激動期に、日中の経済関係を強化しようと華僑側が呼びかけた。発起人には神戸市長や衆議院議員のほか、川崎造船所(現川崎重工業)や神戸新聞社の社長を務めた松方幸次郎氏、貿易商の呉錦堂(ごきんどう)氏らが名を連ねた。

 協会によると、明治・大正期の神戸ではマッチなど軽工業品の輸出、原料の輸入などで対アジア貿易が増えたが、特に華僑の海外人脈が果たした役割は大きかった。神戸在住の華僑は急増し、協会発足時には3千人に達していた。

 現理事で台湾にルーツを持つ佐井裕正・中日輪船商事社長は「祖父は台湾特産のパナマ帽を日本で販売するために神戸に移住した。協会は実業家同士を結び付け、多くの事業機会をつくり出したのではないか」と当時に思いをはせる。

 23年の関東大震災では東京や横浜から多くの華僑が神戸へ避難した。一部会員は帰国希望者に旅費などを支援したという。

 協会の歴史の中で特筆すべき出来事が、孫文が24年11月に神戸高等女学校(現神戸高校)で行った講演だ。協会と神戸商業会議所(現神戸商工会議所)の要請で実現し、その内容は「大アジア主義」として今も広く知られている。武力で制する欧州の文化「覇道」ではなく、仁義道徳で治めるアジアの文化「王道」の尊さを説いた。「革命いまだ成功せず なお努力すべし」の言葉を残して亡くなる前年のことだった。

 満州事変や日中戦争の影響で協会の活動は停滞を余儀なくされた。戦後になり、48年には上海や香港の貿易商が神戸を訪れた際に協会が商談会を開くなど経済の振興に努め、活動を継続してきたという。

 林聖福副会長(福建商事代表取締役)は「1世紀にわたる協会の存続は、日中の会員が互いを理解しようと努力したたまもの」。今春まで8年間会長を務めた新(あたらし)尚一氏(神栄相談役)は「何物にも代えがたい素晴らしい協会を、50年、100年と発展させることが私たちの責務」と話している。(長尾亮太)

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