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市ケ原の桜茶屋で働いていた谷田唱美さんの写真を手に、豪雨災害への思いを語る谷田ミヅカさん=淡路市下田
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市ケ原の桜茶屋で働いていた谷田唱美さんの写真を手に、豪雨災害への思いを語る谷田ミヅカさん=淡路市下田
昭和42年7月豪雨で、山津波にのみ込まれた市ケ原の集落。救出作業は困難を極めた=1967年7月10日、神戸市葺合区(現中央区)
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昭和42年7月豪雨で、山津波にのみ込まれた市ケ原の集落。救出作業は困難を極めた=1967年7月10日、神戸市葺合区(現中央区)

 神戸市や阪神間で戦後最大の豪雨被害をもたらした「昭和42(1967)年7月豪雨」から9日で50年となる。山麓で土砂崩れなどが相次ぎ、兵庫県内の犠牲者は98人、被災家屋は3万8305戸に上った。この半世紀、「二度と悲しむ人を出してほしくない」と願い続けた遺族。しかし、近年、土砂災害や水害が相次ぎ、今月には九州北部を記録的豪雨が襲い大きな被害が出ている。(高田康夫)

 1967年7月7日から降りだした雨は9日にピークを迎え、10日午前0時までの24時間雨量は319・4ミリに達した。神戸市生田区(現中央区)の宇治川商店街では道路を川のように水が流れ、鉄筋コンクリートのビルも倒壊。神戸・阪神間では1938(昭和13)年の阪神大水害に次ぐ被害が出た。

 神戸市葺合区(現中央区)の山中にある市ケ原では、ゴルフ場が開発されていた世継(よつぎ)山の斜面が崩壊した。住民が避難していた桜茶屋や駐在所など、集落の大部分がのみ込まれ、21人が犠牲になった。助かった人々も多くが移住。集落は消滅した。

 桜茶屋に住み込みで働いていた谷田唱美(まさみ)さん=当時(21)=も犠牲者の1人だ。義姉の谷田ミヅカさん(84)=淡路市下田=は翌日、ニュースで市ケ原の災害を知り、夫で、唱美さんの兄の孝さん(故人)とともに市ケ原へ。到着した現地の惨状に言葉を失った。「ずんべらよ。土で何もかもなくなっていた」。遺体を確認して回ったが、髪の毛はなく、顔は傷だらけで判別が困難な遺体も。唱美さんの遺体は発生から21日目、布引貯水池で見つかった。

 唱美さんは幼いときに父を亡くし、小学5年で母も他界。兄夫婦も生活は苦しく「(食事は)毎日おかいさんみたいになるで」と申し向けたが、「それでもいい。姉ちゃんとこへ行きたい」と唱美さん。中学まで同居し、卒業後、知人から桜茶屋での住み込みの仕事を紹介され、単身、神戸へ移った。

 ミヅカさんは「苦しい生活を一緒にしてきて、ふびんな思いをさせとった。『高校に行かせてあげたらよかった』『神戸に行かさなんだらよかった』と、悔やみ続けた」という。

 唱美さんはミヅカさんに懐いていた。淡路に度々戻ると、決まって膝枕に頭をのせ「耳掃除して」とせがんだ。豪雨の直前、電話で「会ってほしい人がいるねん。来てくれへんか」と言ってきた。結婚が決まりかけていた。

 3年前の広島市の土砂災害。新婚夫婦が亡くなったとの報道に、唱美さんの姿が重なり「つらい思いをする人がまた出たんや」と心が痛んだ。「家族にしたら、何年たとうが一生忘れへん。二度とあんなことが起きんようにしてほしい」と涙をにじませた。

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