社会社会shakai

  • 印刷
安保法に反対し、全国を駆け回っていた泥憲和さん=2015年6月、JR姫路駅南
拡大
安保法に反対し、全国を駆け回っていた泥憲和さん=2015年6月、JR姫路駅南

 「共謀罪」の趣旨を盛り込んだ改正組織犯罪処罰法が11日、施行される。がんのため「余命1年」と宣告されながら、同法や安全保障関連法に反対し全国を駆けた元自衛官、泥憲和さん=兵庫県姫路市=が5月3日、63歳で亡くなった。「泥さんなら諦めずに反対を続けるだろう」。遺志を受け継ぐ仲間たちが、泥さんの在りし日の言葉を時代に刻もうと、「全集」の出版準備を始めた。(木村信行)

 泥さんは姫路市内の中学を卒業後、陸上自衛隊少年工科学校に入校。青森県の高射特科部隊に配属され、1975年に除隊した。

 その後、同市内の法律事務所に勤めながら「憲法を守るはりま集会」の事務局を担い、各地の平和活動に参加した。

 全集の準備を始めたのは、原発や安保など社会問題の勉強会を催す「市民社会フォーラム」を主催する団体職員、岡林信一さん(46)=神戸市中央区。約10年前から交流があり、2014年春、泥さんから「悪性リンパ腫に大腸がんを併発して余命1年」と告げられた。「寿命が長くないと分かり、泥さんは人生を加速させた」と話す。

 同年6月、神戸・三宮で学生らが開いた安保法反対の街頭活動でマイクを握り、「私は元自衛官です。自衛隊の役割は国を守ることだが、集団的自衛権は他人のけんかを買いにいくことです」と訴えた。この発言が会員制交流サイト(SNS)などで2万件以上拡散され、安保法に反対する全国の集会に呼ばれるようになった。

 入退院を繰り返しながら、北海道から沖縄まで100カ所以上を駆けた。だが今年1月、体調が悪化し、食事ができなくなった。

 4月末、岡林さんにこんなメールが届いた。

 「死ぬことに不安はありません。まだやりたいこと、学びたいことはありますが、運命に抗っても敵いません」

 憲法記念日の5月3日朝、泥さんは姫路市内の病院で息を引き取った。大切にしてきた「憲法を守るはりま集会」の4日前だった。

 同集会実行委員メンバーの吉田竜一弁護士は「考え方の違いもあったが、元自衛官が平和運動に関わる意味は大きかった」と惜しむ。集会でたびたび対談した元防衛官僚の柳沢協二さんは「専守防衛の自衛隊を守りたいという思いで一致した。がんとは思えないほどエネルギッシュな人だった」と振り返る。

 岡林さんは「何があっても諦めるな」という泥さんの言葉が胸に刺さっている。07年、韓国人を中傷する神戸市の集会に独りで乗り込んでヘイトスピーチ(憎悪表現)をやめるよう訴え、その後、全国に広がったカウンター(抗議者)の「元祖」と呼ばれた。

 特定の民族や人種への差別をあおる憎悪表現の解消を目指す「ヘイトスピーチ対策法」が施行されたのは9年後だった。

 「共謀罪が施行されても、泥さんは反対運動を続けただろう」と岡林さん。安全保障や歴史認識について書いた泥さんの文章は大量に残っており、「出版して遺志を受け継ぐ」と話す。

社会の最新
もっと見る

天気(11月25日)

  • 12℃
  • 6℃
  • 20%

  • 11℃
  • 5℃
  • 50%

  • 12℃
  • 6℃
  • 10%

  • 12℃
  • 4℃
  • 10%

お知らせ