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義手を外し、中学生に戦争体験を語る石野早苗さん=2011年8月、神戸市兵庫区
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義手を外し、中学生に戦争体験を語る石野早苗さん=2011年8月、神戸市兵庫区
冊子の作製を計画している小城智子さん=神戸市中央区
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冊子の作製を計画している小城智子さん=神戸市中央区

 太平洋戦争末期の神戸空襲で姉と、自身の右腕を奪われ、昨年10月に80歳で亡くなるまで平和の尊さを訴えた石野早苗さん=兵庫県明石市=の人生を次世代に伝えようと、共に活動していた元小学校教諭小城(こじょう)智子さん(65)=神戸市長田区=が冊子の作製を計画している。石野さんは市民団体「神戸空襲を記録する会」の語り部として活動。小中学生らに「若いあなた方が平和な社会を守って」と繰り返したメッセージを、教育現場で伝えていきたいという。(中島摩子)

 小城さんは同会の世話人で、昨年夏、病室の石野さんを訪ね、戦争体験を聞き取った。

 石野さんは小学3年生だった1945(昭和20)年3月17日未明、家族と暮らしていた神戸市兵庫区の薬仙寺で空襲に遭い、米爆撃機B29が落とした焼夷(しょうい)弾で利き腕の右腕を失った。「早苗のお手てがなくなっちゃったよ。字も書けないし、学校にも行けないよ」と泣き叫ぶ石野さんを家族が抱え、猛火の中を逃げた。13歳だった姉の長子(ちょうこ)さんは行方不明になった。

 神戸では同年5月11日、6月5日にも大規模な空襲があり、街は焦土と化した。犠牲者は8千人以上とされるが、正確な数字は分かっていない。

 長子さんの遺骨は終戦から4年後、薬仙寺の境内で見つかった。石野さんは左手で字を書き、生活する訓練を重ね、高校を卒業。結婚して2人の子どもを育て、同市西区の「近畿義肢製作所」で事務の仕事を続けた。

 定年後、「神戸空襲を記録する会」の活動に加わり、小中学校などで戦争体験を語るようになった。「戦争は何もかも奪い去る」と訴え、義手を外し、子どもたちに実際に触らせ、戦争のむごさを実感させた。2001年ごろからの活動は約200回に上ったという。

 5年ほど前から石野さんと共に活動していた小城さんは、「戦争の悲惨さを語る人はたくさんいるが、『戦争に負けない』と、戦後をたくましく生きたことを語れる人は少ない。義手を見せて平和や命の大切さを語ると、子どもたちは自然に受け入れることができた。石野さんしかできない活動だった」と話す。

 冊子の計画を温めていたところ、昨年夏、肝臓がんなどを患っていた石野さんから、体調がよくないとの連絡が入った。入院先の病室で冊子のことを打ち明けると、石野さんは「楽しみにしている」と笑顔を見せたという。

 「宿題をもらった」と小城さん。石野さんが中学校で行った講演の原稿や、掲載された新聞記事などを基に小冊子にまとめる予定といい、「子どもたちにぜひ届けたい」と力を込めた。

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