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 65年前、創設からわずか2年半で解散した「山陽クラウンズ」。当時の資料は「山陽電気鉄道100年史」(2007年発刊)にわずかな記述と選手らの写真が残るだけで、所属選手や監督の詳細やその後については資料がない。

 1952(昭和27)年3月10日付の「スポーツ毎日」に掲載されているメンバー表には、総監督以下26人の名前と出身校が並ぶ。浮田逸郎さんを含め、少なくとも高橋真輝外野手(徳島工高)や永井康雄投手(大阪商高)ら計4人が広島カープなど他球団に在籍したことは確認できるが、残りの選手は記録が残っていない。

 野球史ライターの松井正さんによると、投手としての浮田さんの成績は、スポーツ紙などに掲載された記録を集計すると通算8勝8敗。チームの通算11勝24敗1引き分けに照らしても、エースとして活躍していたことが推察される。

 浮田さんは52年9月、大洋松竹ロビンスに移籍。53年5月、東京・後楽園球場の巨人戦で登板。2死満塁の場面で「打撃の神様」と呼ばれた川上哲治内野手と対戦し、センターフライに打ち取ったという。

 監督を務めた村井竹之助氏は34年、米大リーグのベーブ・ルースやルー・ゲーリックらが来日した日米野球で全日本代表として出場。同じチームには巨人の沢村栄治投手らがいた。

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