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草の根で被爆体験を伝え続けた父の壷井進さんの写真を見ながら、ICANのノーベル平和賞受賞を喜ぶ宏泰さん=神戸市北区
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草の根で被爆体験を伝え続けた父の壷井進さんの写真を見ながら、ICANのノーベル平和賞受賞を喜ぶ宏泰さん=神戸市北区
コロンビアのサントス大統領(左)と面会した壷井進さん(右から2人目)=2011年2月(壷井宏泰さん提供)
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コロンビアのサントス大統領(左)と面会した壷井進さん(右から2人目)=2011年2月(壷井宏泰さん提供)

 草の根でヒロシマの記憶を世界の若者に伝え続け、昨年、87歳で死去した元兵庫県西宮市原爆被害者の会事務局長、壷井進さん。6日、ノーベル平和賞受賞が決まった国際非政府組織(NGO)「核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)」に参加する「ピースボート」(東京)の旅に、80歳を過ぎて2度加わり、世界を回った。父の願いを胸に被爆体験の継承に取り組む、息子で高校教諭の宏泰さん(51)=神戸市北区=は「父も受賞を喜んでいるはず。核廃絶は正念場。諦めずに伝え続けたい」と決意を新たにした。

 壷井さんは17歳のとき、爆心地から約4・5キロの学徒動員先で被爆した。自宅は爆心地近くにあり、母を失った。1982年、ニューヨークの国連軍縮特別総会に出席し、西宮を中心に草の根の平和活動を続けた。82歳だった2011年、「もう一度世界で訴えたい」と英語を学び、政府の「非核特使」として被爆者8人とピースボートに乗船。ICAN国際運営委員の川崎哲(あきら)さんらと13カ国を回り、コロンビアのサントス大統領=16年にノーベル平和賞を受賞=に面会、核保有国インドでも講演した。

 13年には2度目の航海に臨んだが、途中で体調を崩し、下船。その後も16年4月に亡くなるまで核のむごさを訴え続けた。葬儀には川崎さんも駆けつけた。

 宏泰さんは父の死後、川崎さんを通じ、広島の「原爆の子の像」のモデルになった佐々木禎子さんの兄雅弘さんらを勤務先の兵庫県立北須磨高校に招くなど、高校生らに核や平和について考えてもらう取り組みを始めた。今夏には父が残した膨大な資料を手に、初めて保育園で父の被爆体験や願いを伝えた。

 壷井さんは生前、「被爆者の語りが誰かに伝わり、その人がまた他の誰かに話してくれるはず。その輪を世界に広げたい」と核抑止力に頼らない平和を訴えていた。一方、現実の世界では核兵器禁止条約に核保有国や日本は参加せず、北朝鮮の核実験などで緊張も続く。宏泰さんは「ICANの受賞は草の根の活動に希望をくれた。核兵器がなくなるそのときまで、語り継いでいきたい」と誓った。(広畑千春)

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