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新たに見つかった、大石内蔵助の妻りくの手紙(手前)。奥は三男代三郎の手紙=豊岡市城崎町湯島
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新たに見つかった、大石内蔵助の妻りくの手紙(手前)。奥は三男代三郎の手紙=豊岡市城崎町湯島

 忠臣蔵で知られる大石内蔵助の妻りくによる直筆の手紙がこのほど、りくの出身地、兵庫県豊岡市で見つかった。手紙には内蔵助の遺児となった三男の仕官や、次女の縁組への喜びがつづられ、関係者は「300年の時を超え、りくの思いがよみがえった」と喜ぶ。赤穂義士の討ち入りがあった14日から2日間、公開される。(阿部江利)

 りくは、内蔵助との間に3男2女をもうけた。三男の代三郎をみごもっていた時、家族に罪が及ぶのを避けるため、討ち入り前に豊岡に帰された。夫の死後も子どもたちを育て、赤穂義士の評判により三男が広島の赤穂浅野家の本家に召し抱えられ、一緒に広島に移った。

 書状は豊岡市城崎町の土産物店主で、郷土資料を集める森貞淳一さん(73)が約10年前に古書店から購入し、保管していた。今年夏に資料を整理した際、同市立歴史博物館の資料調査員、石原由美子さん(56)に調査を依頼。筆跡や宛先、朱書きされた年号などから本物と確認された。

 手紙は討ち入りから12年後の1714(正徳4)年10月、三男の仕官にも尽力した大石家の親戚に宛てたもの。「かように子供仕合(しあわ)せよくなり候(そうろう)」「祝言(しゅうげん)用意にとりこみまいらせ候」などと、仕官できたことへの感謝や、次女るりの婚礼の支度に追われている幸せをつづっている。同時に見つかった三男の書状も、姉の婚礼が無事終わったことへの礼などが書かれている。

 石原さんによると、市内に残るりくの書状は実家の菩提(ぼだい)寺に残る1通だけで、貴重という。「夫の死後、りくと子らが再び幸せを取り戻していく様子が分かる」と話す。森貞さんは「手紙を見て、大勢の人に関心を持ってもらいたい」とし、14、15日午前9時~午後5時、同市城崎町湯島の土産物店「花兆庵」で無料公開する。森貞さんTEL0796・32・3811

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