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体験を語る油症被害者関西連絡会共同代表の渡部道子さん=大阪市内
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体験を語る油症被害者関西連絡会共同代表の渡部道子さん=大阪市内
カネミ倉庫の米ぬか油「ライスオイル」(1971年、写真家河野裕昭さん撮影)
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カネミ倉庫の米ぬか油「ライスオイル」(1971年、写真家河野裕昭さん撮影)

 カネミ油症の被害者として認定され、兵庫県内に居住しているのは16人。この数字は被害の氷山の一角にすぎない。発覚から50年たつが、患者は今も苦しみ続け、母体を通じて子や孫に広がった被害もある。半世紀たった今も終わらぬ被害の実情を追った。

 「ライスオイルを天ぷら油にすると、プクプクと変な泡が沸いてきた。健康にいいと評判だったけど、母が『この油おかしい』って言って。それを食べてから最悪の人生やった」

 西日本一帯で1968年に発覚した食品公害、カネミ油症。認定患者の渡部(わたなべ)道子さん(62)=姫路市=は小学6年の3月、転居したばかりの長崎県・五島列島で、ポリ塩化ビフェニール(PCB)に汚染されたカネミ倉庫(北九州市)製の米ぬか油「ライスオイル」を口にした。間もなく、お尻や背中に膿(うみ)のある大きなおできができ出した。

 「くさいし、学校のいすに座るのも痛い。クラスの半分以上が同じ症状だった。下着に膿が付くから毎朝母が絞り出して、薬を付けて油紙とガーゼで手当してくれた。弟の背中の膿もよくつぶしてやった。手袋をはめて力を入れると、ぴゅっと膿が飛んだ」

 両親や弟にも次々にさまざまな症状が現れ、一家4人、全員が油症患者と認定された。

 「朝礼の時間は立ち続けられないから、座って見学。原因不明の高熱をくり返して入院して。がんで右の卵巣を取った時は母が泣いてた。高校も入院ばかりで、行きたい大学はあきらめた。人生変えられて、めっちゃむかつくよね」

 顕著な不調は35歳くらいまで続き、今も極端な疲れやすさや、病気が重症化しやすい体質を引きずる。     

     ◇

 1980年ごろ、姫路に移住。関西の被害者の世話役をしていた父親が亡くなったのをきっかけに、2011年、油症被害者関西連絡会を設立した。関西の患者は九州や広島からの転居者が多い。患者同士のつながりが弱いため、設立までは、まとまった患者団体はなかったという。渡部さん自身もカネミ油症から目を背けた時期もあった。

 活動を始めてから関西と九州の情報の差にがくぜんとした。「カネミ倉庫に医療費を請求する方法を知っている人がほとんどいないなんて、絶対におかしいと思った」

 発足当初、活動はほぼ一人きり。認定患者らを対象に年1回行われる油症検診会場で、端から声を掛け、関西在住の被害者を把握した。現在は曽我部和弘さん(54)=大阪府河内長野市=と共同代表を務める。年2回、九州で被害者、カネミ倉庫、国が顔をそろえる三者協議に出席。被害者の窮状を訴え、約50人の会員に向けて情報発信を続ける。

 「健康被害があるのに油症と知らずに過ごしている人や、油症患者なのに補償が受けられない人がいる。1人でも多くとつながり、正しい情報を伝えたい」

 小柄な体に強い意志を宿す。(小尾絵生)

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