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11月4日は78歳の誕生日でもあるが「その日に会場が取れただけ。たまたまです」と話す善竹忠一郎さん=神戸市中央区(撮影・辰巳直之)
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11月4日は78歳の誕生日でもあるが「その日に会場が取れただけ。たまたまです」と話す善竹忠一郎さん=神戸市中央区(撮影・辰巳直之)

 狂言界と兵庫県で最初の人間国宝となった祖父の名を継ぎ、11月4日に二世彌五郎(やごろう)を襲名する大蔵流狂言師の二世善竹(ぜんちく)忠一郎さん(77)=神戸市東灘区。父も継がなかった名跡の復活は実に53年ぶりで、同日には大槻能楽堂(大阪市中央区)で披露公演を開く。「プレッシャーを打破し、いい舞台をしようと思う」と力を込める。(松本寿美子)

 約3年前から、いとこにあたる奈良の宗家の25世大蔵彌右衛門さんに「一代で名が消えるのは惜しい」と襲名を勧められていた。「私には大変偉大な名。簡単に『はい』と言えなかった。悩み抜いてようやく決心した」と明かす。

 1940年、彌五郎の長男、初世善竹忠一郎の長男として生まれた。初舞台は7歳。猿引きが道で出合った大名に、弓矢を入れる靱(うつぼ)の革用に小猿を引き渡すよう命じられる「靭猿(うつぼざる)」の小猿役だった。

 「祖父は父や叔父たちには怖かったようだが、私には優しかった。初舞台では猿引き役を演じた祖父が大名に無理を言われ苦渋する顔を、『かわいそう』と思って小猿の面の中から見ていた」と懐かしむ。

 狂言師としての修業の卒業を意味する重い曲「釣狐(つりぎつね)」を演じたのは21歳。舞台数日前、祖父に稽古の仕上げを見てもらうと、古狐が人間に化けた後の杖(つえ)の持ち方を指摘された。「もっと体の中心で構えなさい、と。本来は4本足の動物が無理やり2本足で立っているから、ずれては体を支えられないというわけです」

 「釣狐」は、祖父が70歳のときに芸術院賞を受けた演目でもある。基本の型に忠実に、役柄の動作を研究し、心理や事情に裏付けられた写実的な芸で知られた、祖父らしい助言だった。

 「祖父はごく自然に演じていただけと思いますが、それが写実的という評価になったんでしょうか。稽古ではまだ言いたいことはあったようですが、『今言うても迷うだけやろうから、おやじに習った通りしっかりやれ』と言われました」

 型を重んじる伝統は忠一郎さんと息子の隆司さん、隆平さんにも脈々と受け継がれている。

 「基本は同じでも、狂言は演者の体形や声で大きく様子が変わります。まねをしようという思いもなく、舞台では役に集中して人物になり切るだけ」と話す。

 公演では「武悪(ぶあく)」を上演する。忠一郎さんが演じる不奉公者の武悪を、大蔵彌右衛門さん演じる主人が太郎冠者(かじゃ)(大蔵彌太郎さん=彌右衛門さんの長男)に討つよう命じる話。「武悪が亡くなった主人の父をしのぶ場面に祖父を思う自分を重ね、物語が好きで選んだ。前半は緊張が続き、後半はユーモアがある。出演者3人がシテ(主役)のようで、がっつりやるといい曲になる」と目を細める。

 「舞台の祖父は力強く、最期まで気迫がすごかった。名前が変わった途端に芸が変わるわけではないが、祖父の意気込みを大切に、一生懸命勤めたい」

 ほかに「寝音曲(ねおんぎょく)」(茂山千作さん)、「木六駄(きろくだ)」(善竹隆司さん、善竹彌五郎さん)、「鶏聟(にわとりむこ)」(善竹隆平さん)も。午後2時開演。前売り7千円、当日8千円。小中高生3千円。大蔵流狂言善竹会TEL078・822・3948

【善竹彌五郎(ぜんちく・やごろう)】 1883年、京都市生まれ。2歳のとき母が近世の名人といわれた大蔵流狂言師茂山忠三郎と再婚。長男として厳しく芸を仕込まれ、家督を継いだが、名跡は母の再婚後に生まれた忠三郎の実子である弟に継承させた。1963年、能シテ方の金春流宗家家元金春信高に、世阿弥の娘婿で金春の流祖ともいうべき金春禅竹にちなんだ「善竹」姓を贈られ、一族で改姓。64年に人間国宝に認定された。晩年はぜんそくや心臓病に苦しみながらも気迫で舞台に立ち、65年に神戸・御影で亡くなった。息子5人は全員、狂言師として活躍した。

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