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当時のストレッチブーツに似た靴を手にする新井康夫社長。「つま先はこんなにとがっていなくて、ヒールももっと太かったんやけどね」=神戸市長田区細田町2(撮影・辰巳直之)
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当時のストレッチブーツに似た靴を手にする新井康夫社長。「つま先はこんなにとがっていなくて、ヒールももっと太かったんやけどね」=神戸市長田区細田町2(撮影・辰巳直之)
安室奈美恵さん
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安室奈美恵さん

 茶髪、細眉、ミニスカート…。16日で引退する人気歌手の安室奈美恵さん(40)は、女性のファッションにも大きな足跡を残した。その中の一つに1990年代後半、一大ブームを巻き起こしたストレッチブーツがある。主な生産地は、靴の街として知られ、95年の阪神・淡路大震災で壊滅的な被害を受けた神戸市長田区だった。「安室ちゃんは、まさに救世主。街が生き返った」。流行前から売り出し、ブームの立役者となった靴メーカーの社長はそう話す。

 ストレッチブーツは伸縮性に富んだ生地を立体的に縫い合わせ、ファスナーなしで靴下のように脚にぴったりと沿わせる。

 発注元のブランド名で靴を製造する「サンナイト」(同市長田区)の新井康夫社長(63)は96年春、取引先の専門店を訪ねた際、イタリア製のストレッチブーツに初めて出合った。独特の生地が脚を細く見せ、歩きやすくて温かい。売れると直感した。素材を手に入れるため何度もイタリアに渡り、現物を分解しては型紙の取り方や縫製を研究。他の靴の何倍も手間がかかったが、試行錯誤の末、夏の終わりに市販にこぎつけた。

 人気絶頂の安室さんが履いて週刊誌に登場しているのを見つけたのは、直後の96年秋。思わず叫んだ。「えらいことになった!」

 そして本当に、えらいことになった。

 安室さんはその後もストレッチブーツを履いてテレビや雑誌に出た。彼女に憧れる女性「アムラー」の必須アイテムになったが、96年に製造していたのは国内でわずか数社。ある朝出社すると、会社の前には得意先の行列ができていた。「はよ作ってや」。出した先から売れ、その年は素材の調達が間に合わず、それでも4万足を製造した。翌97年は夏用のサンダル生産をすっ飛ばして5月からフル稼働し、10万足の注文をさばいた。「あんなに出荷が楽しかったことはない」と、今でも思い出すと口元が緩む。

 潤ったのは同社だけではない。長田には高い技術を持つ中小企業が集積。多くが追随し、97年は約50社が製造した。「サンダルとブーツ、どっち作るかって聞いたら、みんなブーツを選んだもんや」。他の靴と比べると原価は高いが、高価格で売れたため収益性にも優れていた。

 同社は震災で本社ビルと工場が全壊し、大きな負債を抱えて再起した直後。周りも同様だったが、降って湧いた“安室バブル”で一息つけた会社は多かったという。「もしストレッチブーツがなかったら。考えただけでぞっとするなあ」。新井社長はつぶやいた。

 ストレッチブーツは98年には中国から安価な製品が入ってきた。値段で勝負しない同社は、その年の半ばには製造を取りやめた。

 以来、あれほど同じ靴が売れたことはない。新井社長は「今は好みが細分化され、みんなが同じ物を買うことはなくなった」と分析。「引退は寂しいが、ファッションに影響力のある人がまた出てきてほしい」と願う。(上杉順子)

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