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夫浩志さんの名前が刻まれた名碑を見つめる原口佳代さん=14日午後、尼崎市久々知3(撮影・風斗雅博)
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夫浩志さんの名前が刻まれた名碑を見つめる原口佳代さん=14日午後、尼崎市久々知3(撮影・風斗雅博)
慰霊碑を見上げる遺族の上田弘志さん=14日午後、尼崎市久々知3(撮影・大森 武)
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慰霊碑を見上げる遺族の上田弘志さん=14日午後、尼崎市久々知3(撮影・大森 武)
慰霊碑の前で記者の質問に答える遺族の上田弘志さん=14日午後、尼崎市久々知3(撮影・大森 武)
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慰霊碑の前で記者の質問に答える遺族の上田弘志さん=14日午後、尼崎市久々知3(撮影・大森 武)

 「祈りの杜」として姿を変え、14日から遺族らに公開された尼崎JR脱線事故現場。木々に囲まれた広場には慰霊碑が建ち、亡き人をしのぶ追悼空間ができた。それでも、遺族らがこの日、感情を揺さぶられ、涙を流した場所はこれまでと変わらなかった。快速電車が衝突した傷痕が生々しく残るマンションの前だった。

 夫浩志さん=当時(45)=を亡くした音楽講師、原口佳代さん(58)=宝塚市=は慰霊碑前で献花し、4階まで残されたマンションへ。事故の痕跡が残る壁を見上げ、ハンカチで目元を何度も拭った。

 「慰霊碑の前で気持ちが揺らぐかなと思ったけど、何も脳裏に浮かばなかった。壁では事故からの日々がよみがえり、『ここで亡くなったんだ』と思った」

 月命日には現場を訪れる。変化に寂しさもあったが、事故の記憶の風化を恐れ、整備を受け入れた。

 事故を知り、遺族らが記した手紙などを紹介する地下空間。原口さんは、浩志さんも好きで、よく一緒に作品展に足を運んだ相田みつをさんの詩を寄贈しており、同空間に展示された。

 「生きていてよかった 生かされてきてよかった あなたにめぐり●えたから」

 詩にはさまざまな思いが重なる。「もう生きていたくないと強く思う時期もあったが、生きてきたから今がある。ここが語り継ぐ場になってほしい」

 次男昌毅さん=当時(18)=を亡くした上田弘志さん(64)=神戸市北区=は、何度も見たはずのマンションの衝突痕を前に感情を抑えきれなかった。「(遺体安置所の)体育館で寝かされている息子の顔がよみがえってきて…」。青いタオルで涙を拭い、崩れるようにしゃがみ込んだ。その脇を電車が走り抜け、おえつをかき消した。

 上田さんにとってマンションは昌毅さんの墓石そのもの。「ありのままを残すべき」とし、JR西の一部保存の整備方針には一貫して反対してきた。

 慰霊碑に手を合わせたが「息子とつながっていない」と感じた。名碑の前でも涙は出ない。生々しい痕跡はアーチ状の屋根に覆われ「事故現場というより、きれいな公園のよう」。

 2016年1月の整備開始以降、工事の経過を映像で記録し続け、この日もカメラを回した。「事故を知らないJRの社員に見てもらい、安全最優先の意識を確認してほしい」。雰囲気が一変した現場を目の当たりにして、思いを強くした。(上田勇紀、小川 晶)

※●は一点しんにょうの「逢」

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