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DMATのメンバーに加わった上田篤史さん。災害や事故の最前線で命を守る=神戸市中央区(撮影・藤家 武)
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DMATのメンバーに加わった上田篤史さん。災害や事故の最前線で命を守る=神戸市中央区(撮影・藤家 武)
上田昌毅さん
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上田昌毅さん

 乗客106人が亡くなった2005年の尼崎JR脱線事故(兵庫県尼崎市)で兄を失った看護師の上田篤史さん(29)=神戸市中央区=が、大規模災害や事故の現場で治療に当たる災害派遣医療チーム(DMAT)の隊員になった。看護師として集中治療室(ICU)で重篤な患者に接する一方で、救命措置すらされなかった兄の最期が心から離れずにいた。「災害や事故の最前線で一人でも多くの命を救いたい」。亡き兄への思いを胸に覚悟を固める。(小川 晶)

 「これは黒ですね」。8月末、三木市内でDMATの研修があった。治療の優先度を判定するトリアージの訓練で、自身の判断を医師に告げた瞬間、上田さんに「見捨てる」という言葉がよぎった。

 訓練は大規模災害を想定し、さまざまな状態の患者について1人当たり15秒程度で治療の可否を判断していかなければならない。もちろん「救命不可能」を示す黒を選ばざるを得ないケースもある。

 見立ては間違っていない。医療体制が限られる中で、不可欠な選別であることも分かっていた。それでも、同じ判定を受けた3歳上の兄昌毅さんの記憶が、無力感とともによみがえってきた。

 昌毅さんは、脱線事故を起こした快速電車の2両目に乗っていた。黒のトリアージタグを付けられ、治療を施されることなく18年の人生を閉じた。

 事故前夜、勉強机に向かう上田さんに「あんまり無理すんなよ」と声を掛けてくれた。それが最後の会話となった。

 「命の瀬戸際にある人を救いたい」と看護師を志し、12年から神戸市立医療センター中央市民病院(神戸市中央区)のICUで働く。昌毅さんの最期をどう受け止めるべきか、考えを巡らすうちに、現場により近い救命措置に携わりたいと思うようになった。

 病院に到着するまでに救急隊員らが担う救護に関するプログラム「JPTEC」を16年に受講し、全国の大規模被災地で活動するDMATにも関心を持ち志望。今年8月末の研修に参加して隊員となった。

 9月6日未明に発生した北海道地震では、早くも待機命令がかかった。結局、出動することはなかったが、「極限の現場で冷静に行動できるだろうか」との不安が募った。看護師になった経緯を周囲に話すたび、「追い詰められないようにね」と言われた意味が何となく分かった気がする。

 「祈りの杜(もり)」として整備され、14日に公開された事故現場にはまだ足を運べていない。ただ、心の中でDMATになったことを昌毅さんに報告したそうだ。

 「自分自身、一歩前に進めたかな。でも、それだけじゃない。“兄ちゃんの死”に少しだけ近づいた気がするんだ」

【災害派遣医療チーム(DMAT)】阪神・淡路大震災を教訓に、国の主導で2005年4月に発足。災害発生直後の急性期(おおむね48時間以内)に医師1人、看護師2人、業務調整員1人でチームを組んで活動する。隊員は昨年4月時点で全国786医療機関の計1万1481人で、兵庫県には19病院に295人いる。東日本大震災や熊本地震、御嶽山噴火、尼崎JR脱線事故などで出動した。

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