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土石流をもたらした地下水の巨大噴出口(右下)。幅は1メートルに及んだ=神戸市灘区(京大防災研究所・釜井教授提供)
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土石流をもたらした地下水の巨大噴出口(右下)。幅は1メートルに及んだ=神戸市灘区(京大防災研究所・釜井教授提供)
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釜井俊孝教授
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釜井俊孝教授

 平成最悪の被害をもたらした西日本豪雨から6日で3カ月。大規模な土石流被害が出た神戸市灘区篠原台地区を京都大防災研究所などが調査したところ、崩壊部分の深さ10メートル付近に、幅数十センチから最大1メートルにも及ぶ地下水の噴出口が10カ所近くできていたことが分かった。現地に入った同研究所の釜井俊孝教授(61)=応用地質学=は「これほど巨大な噴出口は異例。長時間の豪雨で地下の水圧が著しく上昇していた可能性が高い」と話す。

 現地調査によると、現場の斜面はほぼ円状に崩壊し、直径は約30メートル、深さは最大約15メートル。噴出口は数十センチを中心に1メートルに達するものも二つあり、深さ10メートル前後に並ぶようにできていた。周囲にはこぶし大の石が大量に転がり、地下水と一緒に噴き出したとみられる。

 釜井教授は「当日降った雨が、その日のうちに地下10メートルまで達したとは考えにくい」と説明。六甲山系の地下には過去の地殻変動に伴う亀裂が無数にあり、もともと中にたまっていた地下水が豪雨で一気に押し出されたとみる。

 神戸地方気象台によると、神戸では降り始めからの総雨量が430ミリを超え、700人近い死者・行方不明者を出した阪神大水害(1938年)に匹敵した。

 釜井教授がもう一つ着目するのは、崩壊した場所の歴史だ。今回崩れたのは戦前に開発された造成地の斜面という。国土地理院がサイト上で提供している航空写真の閲覧システムを使い、戦後間もなく撮影された一帯の写真を確認すると、整然と区画された造成地が並んでいた。もともと平らな場所(高位段丘面)だったため早くから開発が進んだと考えられるという。

 現地調査でも、表層に厚さ約1メートルの盛り土が確認された。斜面に土留め用とみられるセメント製の古い壁もあり、「当時から斜面の安定に課題があったのだろう」と同教授は推測する。壁の構造はもろく、大半が土砂に押し流されていた。

 国土地理院の航空写真では、崩壊地点周辺は60年代初頭の時点で既に樹木に覆われ、原野に戻っていたとみられる。ただ神戸市建設局によると、現場は民有地。行政が宅地造成の規制に関与し始めたのは62年の法整備以降で、同局は「開発や原野に戻った経緯は確認できない」とする。

 釜井教授は「造成地が放棄された結果、防災対策も行き届かなくなった可能性がある」と指摘。「人口減少が進む中、同様の危険を抱えた場所が増える恐れもある」と警鐘を鳴らす。(田中陽一)

【西日本豪雨による篠原台地区の被災】 7月6日夜、住宅街北側の斜面が崩壊して土砂が流出。住宅8軒が全壊し、18軒が半壊や一部損壊の被害を受けた。避難指示なども長期化し、76世帯152人は8月10日まで1カ月以上続いた。神戸市による応急対策工事は既に完了。国土交通省近畿地方整備局は砂防ダムを整備する方針を明らかにしている。

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