総合 総合 sougou

  • 印刷
神戸新聞NEXT
拡大
神戸新聞NEXT
環境改善策として設けられた歩道橋エレベーターの前で話す松光子さん=尼崎市東本町3(撮影・風斗雅博)
拡大
環境改善策として設けられた歩道橋エレベーターの前で話す松光子さん=尼崎市東本町3(撮影・風斗雅博)

 「青い空」を求めた提訴から30年。命懸けで経済最優先の社会に疑問を呈した尼崎公害訴訟の原告団と弁護団が解散を決めた。大気汚染で体を害した患者の訴えは、司法を、国を動かした。公害に翻弄(ほんろう)された人生と、逝ってしまった仲間たち。原告団長の松光子さん(86)=兵庫県尼崎市=は達成感とともに、「とても長かった。あまりにもいろいろあり過ぎた」と言葉を詰まらせる。昭和の末に湧き起こった社会運動は、平成の終わりとともに幕を閉じる。

 「昔はきれいな海やったんよ」。松さんが幼少期を振り返る。妹や近所の子の手を引き、近くの浜まで泳ぎに行った。しかし太平洋戦争での軍事産業の拡大、戦後の重厚長大産業の誘致で風景は一変した。

 工場や車から出る煙は尼崎の空を灰色に染めた。自宅の窓はどろどろ。自転車は昼でもライトなしで走れなかった。多くがぜんそくを患った。あまりの苦しさに自ら命を絶つ人もいた。

 このままでは大気汚染で街がつぶされる。松さんたちは裁判を決意した。相手は国と大企業。「子や孫のために青い空を取り戻したい」。その一心だった。

 総勢483人。史上最多の原告団を結成し、1988年12月26日、神戸地裁に提訴した。弁護団も手弁当で支えた。毎回、原告団で傍聴席を埋めた。

 11年後の2000年1月31日。神戸地裁判決は、国などに排ガスの一部差し止めを命じた。道路行政の転換が決まった瞬間だった。「うちら、勝ったで」。松さんは傍聴席に叫んだ。「あれほどうれしかったことはない。最高だった」

 大阪高裁では、国などが環境改善策を進める条件で和解が成立。度重なる交渉の末、国道43号の大型車を中央分離帯寄りに誘導する新ルールなどが定められ、13年に協議が終結した。

 この30年で、原告の大多数が鬼籍に入った。松さんは「昨日話した人が、今日いないこともあった。つらくて、何度も団長を代わってほしいと思った」。それでも先頭に立ち続けた。

 司法で「完全勝訴」を手にした。かつて対立した国は国道43号の環境改善策を実現した。「全てやりきった」と松さん。近頃は、協議の最中だった7年前に失った一人息子のことばかり思い出す。「尼の空はきれいになった。少しゆっくりさせてもらいます」。両肩の重荷を下ろし、ほほ笑んだ。

(岡西篤志)

◇「時代が求めた訴訟」弁護団長を務めた中尾英夫弁護士(82)の話◇

 戦後から高度経済成長期にかけ、公害垂れ流しの社会が続く中、患者たちが立ち上がり、排ガスの差し止めを求めた。訴えを起こしたわれわれでさえ、完全勝訴は考えられなかったが、「大気汚染を放っておけない」という原告団の情熱とエネルギーが司法を動かした。まさに時代が求めた訴訟だった。30年間関われたことは弁護士冥利(みょうり)に尽きる。

総合の最新
もっと見る

天気(10月14日)

  • 23℃
  • ---℃
  • 40%

  • 22℃
  • ---℃
  • 30%

  • 22℃
  • ---℃
  • 50%

  • 22℃
  • ---℃
  • 50%

お知らせ