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普天間飛行場の見える嘉数高台公園で「先祖の地が滑走路になっている」と話す安仁屋真孝さん=沖縄県宜野湾市嘉数1
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普天間飛行場の見える嘉数高台公園で「先祖の地が滑走路になっている」と話す安仁屋真孝さん=沖縄県宜野湾市嘉数1
「沖縄戦の図」の前で話す佐喜眞道夫さん=沖縄県宜野湾市上原
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「沖縄戦の図」の前で話す佐喜眞道夫さん=沖縄県宜野湾市上原
オスプレイが常駐する普天間飛行場。すぐ近くに保育園が見える=沖縄県宜野湾市
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オスプレイが常駐する普天間飛行場。すぐ近くに保育園が見える=沖縄県宜野湾市
神戸新聞NEXT
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 木々の間を延びる階段の脇に、「トーチカ」と呼ばれる旧日本軍の陣地跡が残る。砲撃で破壊されむき出しになった鉄骨が、茶色くさび付いている。

 普天間の市街地を一望できる嘉数(かかず)高台公園(沖縄県宜野湾市)。密集した住宅地の真ん中にすこんと空間が広がっている。市域の約4分の1を占め、名護市辺野古への移設が取りざたされる米軍普天間飛行場だ。

 「あの南端辺りが先祖代々の土地です」。地元で平和ガイドを務める安仁屋真孝(あにやしんこう)さん(64)=沖縄市=が、中心部に延びる約2・8キロの滑走路を指さした。

 飛行場の9割は民有地。戦後、軍用地として接収され、安仁屋さんの一族も基地の外へ追われた。

 5年前に亡くなった父真現(しんげん)さんは戦時中、神戸の艦船工場で働き、神戸空襲の時は焼夷(しょうい)弾の雨の中を逃げ惑った。戦後に沖縄へ戻ったとき、住み慣れた土地は基地のフェンスの中。一族の家宝だった口承歌謡の冊子「おもろそうし」も、戦火の混乱で失われた。

 無口だった父が、珍しく涙を見せたことがある。阪神・淡路大震災を伝えるニュースを見た時だ。画面にはがれきと化した神戸・長田の街並み。かつて暮らした場所だった。脳裏に迫ったのは戦火の地獄絵か、それとも大切な土地を奪われた無念だろうか。

 真孝さんは、普天間飛行場の辺野古移設への賛否を問う住民投票の計画を耳にしたとき「拘束力のない投票に意味があるのか」と感じたという。今は違う。「父や一族の思いを伝える機会と思うようになった」

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 縦長に広がる普天間飛行場の北東端に、小さくへこんだ一角がある。広さ約1800平方メートル。そこに「佐喜眞(さきま)美術館」が立つ。

 もとは一族が代々住んだ土地。戦後に軍用地となったが、米軍と直接交渉した結果、1992年に返還された。館長の佐喜眞道夫さん(72)は「国との交渉では何も進まなかった」と憤る。

 展示の目玉は、丸木位里(まるきいり)・俊(とし)夫妻の水墨画「沖縄戦の図」(高さ4メートル、幅8・5メートル)。折り重なる人たちや、縄で首を絞め合う女性-。うめき声が聞こえてきそうな大作だ。地元の人たちの証言を基に描かれた。

 佐喜眞さんは、相続した軍用地代を元手に絵画を収集してきた。「接収の代償は生活費に充てたくなかった」。94年に美術館を建て、反戦を訴える作品を中心に展示する。若い米兵が訪れ「僕は戦場の現実を知らなかった」と漏らしたこともあったという。

 美術館の屋上から見下ろすと、三方をフェンスで囲まれているのが分かる。「時折、有刺鉄線で縛られるような感覚に陥る」と佐喜眞さん。基地移設には「目の前から飛行場が消えても、沖縄から消えなければ意味がない」と言い切る。

 沖縄の現状を象徴する場所から、沖縄の痛みを訴える。(石川 翠)

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