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「神戸のお父さん」と慕うひょうごボランタリープラザの高橋守雄所長(左)と再会した池添麻奈さん=11日午後、宮城県名取市愛島郷2(撮影・吉田敦史)
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「神戸のお父さん」と慕うひょうごボランタリープラザの高橋守雄所長(左)と再会した池添麻奈さん=11日午後、宮城県名取市愛島郷2(撮影・吉田敦史)

 東日本大震災による東京電力福島第1原発事故で、福島県富岡町から神戸市に5年間避難した池添麻奈(あさな)さん(36)が、昨春から宮城県多賀城市の市立中学校で教壇に立っている。土地勘がない関西の生活はつらい時期もあったが、阪神・淡路大震災を経験した人々から感じた心遣いで前を向けた。「古里の子どもたちに助け合う気持ちを育みたい」。兵庫で受けた恩は、次世代の育成で報いる。(金 旻革)

 原発事故が発生した2011年3月11日。福島県富岡町に暮らしていた池添さんは中学校で国語の講師をしていた。同県南相馬市にいた両親とともに親類を頼って避難し、伯父がいた神戸までたどり着いた。

 着の身着のままで家財道具は何もなかった。東北と全く異なる街並みと外国語のように聞こえた関西弁に当初はなじめず「100メートル先に外出することもできなかった」と振り返る。

 そんな時、兵庫県の被災者緊急雇用対策でひょうごボランタリープラザのスタッフに呼ばれ、同年5月から嘱託職員で働き始めた。仕事や私生活まで親身になってくれた高橋守雄所長(70)。「何に困ってる?」「やりたいことやりーな」と気に掛けてくれた。ほかにも出会った神戸の人たちから「3年我慢すれば何とかなる」などと励まされ、池添さんは「阪神・淡路を経験したからこその思いやり」を感じた。

 任された仕事でも心が奮い立った。東日本の被災地のボランティアニーズを現地に問い合わせ、情報発信した。電話口で東北出身者と伝わると打ち解け、困り事や悩みを話してくれた。古里から逃げた罪悪感が和らぎ、苦境にある古里のために働けることがうれしかった。

 神戸でずっと暮らすことも考えたが、ある日の街中で聞こえた虫の音に、郷愁が呼び覚まされた。東北の四季折々がまぶたに浮かび、戻ることを決めた。16年に退職。昨年、宮城県の教員に採用され、中学1年生の担任として多忙な日々を送る。

 「生徒は東日本を経験したが、30年以内に東北沿岸で再び大きな地震が必ず起きる。次の地震に備える意識を強くする必要がある」と池添さん。「人を支えるのは人。人のために必死になれる人間に成長できるように、子どもたちと向き合いたい」。神戸で受けた教えを、今度は自分が伝える。

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