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出版された「マダンの児」
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出版された「マダンの児」
幼少期の体験記をつづった朴禮和さん(足立須香さん提供)
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幼少期の体験記をつづった朴禮和さん(足立須香さん提供)

 戦前、7歳で家族と来日した在日コリアン1世で、波乱の人生を生きてきたオモニ(お母さん)、朴禮和(パクイェファ)さん(88)=大阪市生野区=が、幼少期の体験をつづった本「マダン(庭)の児(こ)-韓国と日本の空の下で」(ケイビーエス刊)を出版した。戦争を挟んだ激動の時代を少女の目を通し、いきいきとユーモアたっぷりに描き話題となっている。中でも、親身になって支えた日本の先生たちの姿は鮮烈な印象を残す。(鈴木久仁子)

 朴さんは1931(昭和6)年、日本の植民地だった現・韓国忠清南道扶余(チュンチョンナムドプヨ)で生まれた。7歳で故郷を後にし、一家で名古屋へやってくる。言葉が全く分からない中、後に国民学校と名前が変わった小学校で奮闘することになった。

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 「オモニからはよく『日本の先生たちに救われた』と聞いた」と話すのは朴さんの長男鄭炳熏(チョンビョンフン)さん(67)。今年3月、大阪市内の小学校教員を対象にした研修会で、体調を崩した本人に代わって本の内容を紹介した。

 本の中には「だれにも言うなよ」と貴重な半紙、わら半紙を分けてくれた先生や、空襲で学校が焼ける前に「どこに行っても住所を知らせてほしい」と黒板に自分の住所を書いた先生、殴られた弟の仕返しをした時、ちゃんと先に殴った日本人の男の子にバケツを持って立たせた先生ら、朴さんの忘れられない印象的な先生たちが登場する。

 いずれも戦況が悪化する中、子どもたちに精いっぱい温かい視線を送り、無事を祈る姿だ。

 「当時は、今よりももっと在日コリアンへの差別が厳しく、言葉も分からない子どもが教室にやってきて先生たちはとまどったに違いない。ましてや今のように多文化共生などという言葉もない時代。教えるのは大変だったと思う」と鄭さん。「それでも温かく包み込み、応援してくれた素晴らしい先生たちのおかげで、オモニは日本社会に根付き、私が生まれた」と言葉に実感を込める。鄭さんは阪神・淡路大震災の被災地で高齢者らの見守り活動を続け、コリアボランティア協会(同市生野区)の代表代理も務める。

 大阪市立御幸森(みゆきもり)小学校(同)の元教諭で、朴さんを慕う足立須香さん(60)は「1世の言葉はなかなか聞けない。本を通じて80年前、こんな先生たちがいたんだと知ってほしい」と話した。

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 朴さんは戦後、結婚して大阪へ。多言語の翻訳や印刷を手掛ける会社、ケイビーエス(同)で20年余り働いた。その間、社内報「ナルゲ(翼)」につづった体験記と挿絵が出版のきっかけになった。同社の林芳子(イムパンジャ)専務(76)は「人を引き付け、大切なことは曲げない人柄を尊敬してきた。昔の記憶も鮮明で、ぜひ本にさせてほしいとお願いした」と振り返る。

 朴さん自身は、出版について「人間同士の距離が近く、素朴でのんびりした時代があったことを感じ取ってほしい」とし、「生徒にとって先生は一生を決める大切な人。幼い日に先生に救われた記憶がその後、どんなにやりがいにつながったのかをくみ取ってもらえればうれしい」と望む。

 B6判136ページ、1296円。同社TEL06・6716・5665

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